宣教学の射程としての「良心的兵役拒否」の思想(2001 宣教学 ⑩)

2001.6.29、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学 ⑩

(神戸教会牧師24年目、牧会44年目、健作さん67歳)

1.現実の教会活動の渦の中にいると、太宰治の『走れメロス』を思い出すことがあります。日没までに友人との約束を果たす為に、王宮に走り返るメロスの眼前に次々と予期しない出来事が出現し、それと取り組んでいる間に帰還の持ち時間が刻々と削られていくことです。“牧会とは走れメロスだ”、今月もそんな実感を持って、いまだに方法への手掛りさえつかめない「宣教学」に取り組んでいます。

 6月に入って二度の葬儀は日常活動に入れるとして、割り込みの活動には、衆議院憲法調査会の神戸地方公聴会(6月4日)への抗議行動がありました。直接には、私が「とめよう-戦争への道-百万人署名運動兵庫連絡会」の世話人をしていることによります。2日(土)、3日(日)、4日(月)と三日間の行動でした。神戸ではひさしぶりに2、3の団体の共同行動ができて、結果的には9条改憲反対の訴えが大きく作用した仙台公聴会に引き続き、公聴会そのものへの批判、傍聴席からの声、公聴人10名(女性皆無)のうち僅か2名の一般公募公聴人に選ばれた中田作成氏の護憲への意見陳述の質の高さ、公聴会後の報告集会への熱意ある取り組み等、「小泉『改革』政権」のなしくずし的右傾化状況(国歌・国旗法に続けての改憲指向、有事法制化、集団的自衛権是認、『つくる会』歴史教科書採択を放置する教育状況、失業率・倒産率・倒産自殺率の上昇傾向)」への批判運動が日常の諸活動にさらに割り込んできたのが6月の私の日々でした。「宣教学」は日常的思考であるという観点からすれば、その時の危機感から考えるのも一つの方法論であると思っています。

2.宣教は、超越、(あるいは彼岸の真理)が、人間現実(あるいは此岸)の中にどのように実在するかを探りだす営みであり、または「神」の現実が、歴史の経験と成っている事実の確認作業であることは、今までにも述べてきたことであります。「歴史の経験」の認識は(啓示神学の用語を用いれば、イエス・キリストにおける神の啓示の一回的出来事とその内容としての連帯的人間の人間性への信仰による現実認識)、歴史の経験の中に隠されている出来事の認識であって、隠されている事柄をどのように認識するかが、宣教の方法に関わっています。

 ここの所、考えていたテ-マは、連帯的人間の人間性(共同性)が、一方において、破壊されていると同時に、創造されているという二重性の問題です。前回から引き続いている言葉で表現すれば、個人が国家と向き合う場合、個を活かす共同性と個を潰す共同性の狭間をどのように生きるかという問いです。ここには、神学的現実としての教会の「共同性」を自明な、よい意味での共同性としてしまわないで、歴史的には国家と並ぶ組織・機構として、人間性を破壊する国家の権力的・支配的・懐柔的「共同性」を補完するものになってきた歴史を批判的に捉え、その認識に立った上で、なおその中に、歴史の経験として、隠されている連帯的人間の人間性を探り得るか、との問いに答える所に宣教学の役割を見ていきたいと考えるものです。

3.「良心的兵役拒否」の問題を、宣教学の射程にすえて見たのは、此の問題が、現在の日本の「戦争が可能な国家の体制作り」(日米安全保障条約下における、新ガイドラインに呼応する国内法整備、国家への忠誠意識を養う歴史教育、国家体制の精神的支柱としての「国家宗教・靖国神社」への尊崇、軍事産業を主軸とした経済景気の底上げ)はいま個人として向き合わねばならない思想的課題を持っているからであります。憲法9条の破棄、徴兵制の実施等、実際には幾つかにハ-ドルがあります。しかし、人は果たして、国家という枠組みにおいて「殺人」に肯定的に関与し得るのか。例えば、旧約聖書が「神の掟」としての「十戒」において「神を神とせよ」(第一戒)つまり超越(聖)との関わりにおいて、人間の存在を捉えることと、「殺すな」(第六戒)とが、同じ重さで理解されることを否定しては、宣教学は成りたちません。「殺す」ことが個人の良心や内面の問題に成れば倫理の問題であるが、これが一方で制度の問題でもある所に、歴史の中に「宣教」の足跡を問う宣教学としての課題があるように思えます。

4.私が自分の経験として「良心的兵役拒否」の問題に出会ったのは、1970年前後のベトナム戦争中(1955-1975)、米軍岩国海兵隊基地の兵隊のなかに、米国における此の制度を用いて兵役拒否を試みる者を、一人の在日宣教師と共に支援したことによります。実際には「試問」に耐えられるような内面の問題についての相談でありました。結果として成功はしませんでした。この時、個人の良心の自由と国家の問題、兵役拒否、亡命等につき考えさせられました。

5.「良心的兵役拒否」についての、概観は、阿部知二著『良心的兵役拒否』(岩波新書 1969)によります。

① 第一章「欧米における良心的兵役拒否の歴史」
(1) 原始キリスト教の平和主義 -マクシミリアヌス
(2)キリスト教公認と正義の戦争 -ミラノの勅令、アタナシウス、アウグスチヌスの正義の戦争観
(3)中世教会と十字軍思想 -トマス・アクイナスの正義の戦争観、他方「神の平和」「神の休戦」の思想。
(4)宗教改革と再洗礼派 -エラスムス「平和の嘆き」、ルタ-の二王国論、福音主義的再洗礼派(a. 革命的再洗礼派 -トマス・ミュンツァ-、b. 瞑想的再洗礼派)から、メノナイト派(ネノ-・ジュモンズ)、ハッタライト派が直接に、間接にブレズレン、クエ-カ-が生まれる。
(5)クエ-カ-、17世紀イギリス、ジョ-ジ・フォックス(1652 クロムウェルの宗教改革直後の宗教運動)。「内なる光(聖霊)」、「友会」(Society of Ferinds) の思想。内的権威としての個々の良心はいかなる権威にも屈しない精神。クロムエルの軍隊への徴募拒否。ウイリアム・ペンのアメリカ(ペンシルヴァニア)移住と州の政治的支配権の掌握。軍隊、軍事予算を認めず。(ペンの思想はアメリカ独立後の合衆国憲法への影響を与える)。その後1756年、英仏戦争の時、クエ-カ-でない州の支配者との「現世」的妥協の取り決めとしての「良心的参戦(兵役)拒否」の「法制化(代替の業務)」を、軍隊を認める議案への賛成投票との引き換えに認めることとなった。
(6)アメリカにおける良心的兵役拒否法制化の発展、「歴史的平和教会」によるマサチュ-セッツ、ロ-ドアイランド州での権利獲得。1775-78年、アメリカ独立戦争時の内部混乱。1791年制定合衆国憲法修正第一条「信教上の自由な行為を法律で禁止することはできない」が連邦議会で審議の折、ジェ-ムズ・マディソン(4代大統領)は、良心的兵役拒否に関する規定を設けることを提案、州の法律にゆだねられた。1863年、北部連邦徴兵制施行、1864年、良心的兵役拒否規定の法制化(宗派への所属が要件)。南部連邦、金銭での兵役免除も条件となる。
(7)ドゥホボ-ル教徒とトルストイ、18世紀ウクライナのロシア土着の宗派。内在する聖霊のみが権威。万人同胞。国家と教会の権威を認めず、1801年、アレクサンドル一世の迫害を受ける。ピョートル・ヴェリギンによる徴兵拒否、武器の放棄からの弾圧激化。トルストイの救援活動。

② 近代日本の反戦の歴史
(1)明治維新の徴兵制度とそれへの抵抗。1867(慶応3)年、王政復古。1871(明治4)年、廃藩置県。明治5年、国民皆兵の建議(山形有朋)。明治6年、徴兵令公布。17-40歳が兵籍。多くの批判、抵抗あり。明治22年、憲法兵役の義務を明記。
(2)日清戦争と反戦思想、自由人権論者・植木枝盛、キリスト教精神からの良心的反戦表明「日本平和会」- 北村透谷、加藤万治(クエ-カ-、ジョ-ジ・ブレスウェイトの活動が背景にあり)らの創設、機関紙『平和』(明治12年、12 号まで)。木下尚江の非戦論。内村鑑三は義戦論。
(3)日露戦争と反戦論。黒岩涙香主筆「万朝報」非戦論。幸徳秋水、堺枯川、内村鑑三らによる「理想団」の結成。内村「余が非戦論者となりし由来」。内村、花巻の斉藤宗次郎を諭す。矢部喜好の徴兵忌避(明治38年)。キリスト教的社会主義者、片山潜・石川三四郎・安部磯雄・西川光次郎・木下尚江・川上清・村井至知・荒畑寒村・山口孤剣・山川均ら。明治35年、治安維持法。明治37-38年、日露戦争。非戦論の文学作品『火の柱』『夫の告白』木下尚江、『昇降場所』広津柳浪、『君死にたもうことなかれ』与謝野晶子、『お百度詣で』大塚楠緒子など。

③ 現代世界における良心的兵役拒否
(1)第一次世界大戦下の良心的兵役拒否。戦争協力に傾くキリスト教と社会主義(1914)へのロマン・ロランの批判。イギリスにおけるバ-トランド・ラッセルを中心とする徴兵反対同盟の活動。独立労働党とク-カ-など平和主義者による1600人の兵役拒否者の出現(1916年法制化)。アメリカでは、1916年、国防法第5条で良心的兵役拒否者への戦闘任務の免除(ただ、その後出された選抜徴兵法では、厳密に「歴史的平和教会」所属を明記。しかし、現実には、虐待があった)。アメリカ、イギリス以外の社会主義者の働きがあった。ロ-ザ・ルクセンブルグ、カール・リ-プクネヒト、インドにおけるガンジ-の思想等。
(2)両次世界大戦間。クエ-カ-の愛国心についての主張。フランスにおけるロマン・ロランの活動、FOR(1914年「友和会」ケンブリッジに起る)の結成。「ものみの塔」(1874年、アメリカにて結成)アメリカ国旗敬礼拒否、迫害。ドイツでの弾圧。
(3)第二次世界大戦。イギリス、62,301名の申請に対して無条件2,937名、条件付き23,638 名、非戦闘軍務13,231 名、却下18,495 名。アメリカ、各派宗教団体の要求で「歴史的平和教会」条項を拡大、宗派を問わない、不服申し立て三段階、非戦闘業務拒否者には国家重要作業に就くことを認めた、重要作業に就く者は軍の管轄外で連邦裁判所で扱う。7万人余りの申請あり。連邦巡回控訴裁判所は理由をあくまでも宗教的なもの「神と人」との関係からくるもの、に限っている 。兵役に代わる業務に民間公共奉仕が取り入れられた。
(4)戦後。核兵器時代。フランス1963年、良心的兵役拒否に関する法律制定。
(5)日本における苦難の歩み。灯台社の事例等、キリスト教周辺の思想とキリスト教主流との関係。ホーリネス、無教会の矢内原忠雄、少数抵抗者の孤独な受難は日本的社会の環境によることを考慮しなければならない。

④ 良心的兵役拒否の法制
(1)「神聖な兵役義務」
(2)兵役義務と公民権
(3)法制

終章。

6.良心的兵役拒否の問題は、一面において国家の行う戦争に関わる関わり方の一つであるから、それ以前の、戦争を起こさせない、戦争に協力しない市民レベルの幅広い、抵抗運動、市民運動の問題を含んでいる。このレベルでの判断、協力の歩みを日常的に怠ってはならないであろう。教会は国家との関係でどの様な距離関係を保つかは、その時その時の構成メンバ-により限界を持つ。「歴史的平和教会」が突破してきた遺産を大事にしつつ、その時々の歴史的状況をどちらに動かしていくかの決断をたえず教会の自己変革に向かって成さねばならないであろう。個人の良心のレベルの事柄とともに、制度、法制、などに。

 その良心の反映が映し出される努力が宣教の課題ではなかろうか。

「岩井健作」の宣教学インデックス(2000-2014 宣教学)

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