1996年12月1日、待降節(アドヴェント)第1主日
翌週12月7日〜8日、岐阜出張:
中濃教会50周年記念礼拝、蘇原教会伝道集会
▷出張記「一鉢のポインセチア」
前々週11月17日、千葉出張:浦安教会創立20周年記念礼拝
▷浦安教会のこと
(神戸教会牧師19年目、牧会38年、健作さん63歳)
雑感
先週の日曜の午後、被災地最初に献堂された神戸雲内(くもち)教会で一つの集会が開かれた。
兵庫教区伝道部主催の役員研修会、講師は野田正彰氏(精神科医)、主題は「震災からのメッセージ」。
丁度同じ時刻、神戸教会では結婚式があったので、それを終わって駆けつけたが、すでに講演は終わっていた。
O氏、Y氏、K氏など、神戸教会関係の方の顔が見えた。
よいお話だったと。
丁度質問への応答が行われていた。
シャープで行動的でしかも冷静な医師というお人柄が新鮮だった。
初対面ではあったが、集会後、著作(『災害救援』岩波書店、『わが街』文藝春秋社)を読み感銘を受けたこと、特に東灘区森南町(もりみなみまち)との関わりのその後について、またNHKの「戦後51年 日本への提言 ー 市民社会の原点を問う」(1996年8月17日放送、NHK)に、カレル・ヴァン・ウォルフレン(著作『日本/権力構造の謎』)と共に出演された時、ウォルフレンが日本の役人は、Responsibility(責任)はあるが、Accountability(信頼)がないと述べた部分につき、その辺りのことを先生はどう思うか、などとぶしつけな質問をした。
前者(著作のその後)については、最近、朝日新聞の夕刊に記したこと。
後者(ウォルフレンの指摘)については、日本の役人は「国益」を守ることについては優れておるが、「結果責任」を取らぬことかな、それでも彼の善意ある見方だろう、とのことだった。
さて、火曜日の郵便物の中に、同氏からの新聞切り抜きの入った手紙を戴き、その対応の細やかさと早さに驚いた。
11月7日(木)朝日新聞夕刊によれば、私が懸念していたように、街の人々の対立があること、そして死別の悲しみに根を下ろさない街づくりへの嘆きが記されていた。
「振りかえれば、この国は死者をいたむ精神のなんと乏しい国か」
沁みる言葉だ。
森南町も人間の修羅場をかいくぐって再生するのであろうか。
封筒には、ナチ関係のエッセイが二つ入っていた。
「旅で会った老女のこと」
「『人の灰』の土地」
著者がヨーロッパへの旅で、アウシュヴィッツを訪れた時の思いが綴られていた。
「ARBEIT MACHAT FREI(労働は自由に通ず)」とのユダヤ人強制収容所の門の言葉は、よく知られている。
この虚偽は、カンボジアでのポル•ポトによる虐殺にも使われたと言う。
野田氏は、ここに「ファシストたちにしみついた人間に対する冒瀆が一層よく表れている」と述べ、収容所内の配置への自分の推測が当たっていることに「私も同じ文明に生きる人間」と語り、20世紀に人間は何をしてきたのか、総括し直す必要があるという。
テレビ報道で厚生官僚の腐敗を聴きながら、同じ文明に生きる人間という言葉を思わず呟(つぶや)いていた。
(1996年12月1日 神戸教会週報、岩井記)