自分を賢いと思い込む人 − 現代の科学技術の担い手と信奉者に自省を望む(2011 聖書の集い・箴言 ③)

自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる(箴言 26:12、新共同訳)

2011.11.16「現代社会に生きる聖書の言葉」
湘南とつかYMCA ”やさしく学ぶ聖書の集い”

第25回「旧約聖書 箴言の言葉から」③
箴言 26:1-12

(明治学院教会牧師、健作さん78歳)

彼より愚か者の方が、まだ希望が持てる(箴言 26:12)

 前回の繰り返しになりますが、箴言の一般的な構成、区分は次の五部に分けられています。今日選んだ言葉「彼より愚か者の方が、まだ希望が持てる(26:12)」は、第四部にあります。

 26章は主として「愚者」(26:1-12)と「怠け者」(26:13-16)の箴言が集められ、人生上否定的な言葉が続いています。読んで見ると、1節から11節までは「愚か者」に対する酷い侮蔑が記されています。例えば「犬が自分の吐いたものに戻るように愚か者は自分の愚かさを繰り返す」(11節)、「愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ。彼が自分を賢者だと思い込まぬために」(5節)等です。ところが、このまとまりの最後12節に、皮肉をこめた今日の言葉が収録されています。

『ユダヤの知恵 箴言カレンダー』(勝村弘也著、聖公会出版 2003)を読むと、3月28日のところに、26章12節が引用してあり、こんなことが書いてあります。

「知恵は何事にも慎重であれと教えます。これは自分を見つめる態度にも当てはまります。科学技術が自分を反省する時にも当てはまるでしょう。最高水準の科学技術を用いて建造した施設でも人間が作ったものである以上どこかにミスがあるか分かりません。設計図の通り作られていないのに誰も気がつかないことだってあります。重大な事故は、技術を過信したり、点検がいい加減である所から起こります。技術を使用する人間が勘違いをすることもあります。絶対大丈夫と考えていたらかえって危険なのです」

 ちなみに、3月28日は「スリーマイル島記念日」と書き添えてありました。

 引用した「犬が自分の吐いたものに戻るように愚か者は自分の愚かさを繰り返す(11節)」の箴言は「愚か者は自分の愚かさを繰り返す」とありますが、3月11日に「人類」は、取り返しの付かない、その愚かさを繰り返しました。

「原子力安全神話」が破られて、その昔のユダヤの知恵で言われていたことを繰り返しました。原子力発電を安全だと言ってきた人達、それを信じてきた人達(我々を含めて)、改めて、この箴言に耳を傾けたいと思います。

「愚かさ」の概念を、ひっくり返して用いる所に、この箴言の書に冒頭第一部で「主を畏れることは知恵の初め(根本)」といわれた事が、箴言の編集の底を流れていることを感じます。

 箴言は「教訓資料集」であり「ソロモン(の名に帰せられている)知恵の言葉」が中心に集められた書物です。どちらかと言うと、教訓は1-9章、22-24章に集められ、格言は10-22章、25-29章に集められています。格言は、過去に集積された知恵で、よく観察された規則性・因果性があります。定型化されています。教訓は恐らく当時の王の子ら・高官の子弟などが教育された教材であろうと言われています。ですから、単にユダヤの知恵のみならず、当時のエジプトなど外国の知恵も集められています。また、格言は並行法など文学的にも整った伝わり方をしています。

 ユダの王・ヒゼキヤの時代(BC.715-687年)には、宮廷の書記官などが古い書物の増補を行うなど知恵の書の「王立図書館」で、箴言の元になった文書の成立に貢献したと考えられています。

 勝村さんの本を見ていて、面白いなと思うことがあります。4月26日、「リメンバー・チェルノブイリ」の日、箴言26章2節を選んでいます。

鳥は渡って行くもの、燕は飛び去るもの。理由のない呪いが襲うことはない。(箴言 26:2、新共同訳)

 賢者は「根拠のない呪いの言葉は無効だ。実現しない」と言っているようです。福島の風評が、鳥や燕のように飛び去って行くことを信じたいと思います。

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