感謝の歌《詩篇 136:1-26》(1980 礼拝説教要旨・週報)

1980.3.2、神戸教会、復活前第五主日
説教要旨は3月9日の週報に掲載

(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん46歳)

詩篇 136:1-26、説教題「感謝の歌」

”主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。”(詩篇 136:1、口語訳)


「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」

 この句は26回もこの詩の中に繰り返されています。

 昔イスラエルの神殿で祭司と聖歌隊との間で交唱された二行詩のリフレインです。

 一つの詩や文学が生み出されるには、その「生活の座」がありますが、この句はイスラエルの人たちが民族的な自覚を持って記し方行く末を思う時に、語られました。

(歴代誌上16:7、歴代誌下6章、エレミヤ書33:11、エズラ記3:11)


”彼らは互に歌いあって主をほめ、かつ感謝し、「主はめぐみ深く、そのいつくしみは、とこしえにイスラエルに絶えることがない」と言った。そして民はみな主をさんびするとき、大声をあげて叫んだ。主の宮の基礎がすえられたからである。”(エズラ記 3:11、口語訳)


 それは、この句が祭儀と生活の中にいかに深く根付いたものであったかを窺わせます。

 詩の構造は、序(1-3節)と結語(26節)があり、本論は3部に分かれています。

① 4-9節:創造主への感謝
② 10-22節:歴史を導く神への感謝
(エジプトの圧政から解放されるに至った一つ一つの具体的出来事を覚えて)
③ 23-25節:個々人の生活を支える神への感謝
(いやしかった時、捕らわれの時、食物がなかった時の助けを覚えて)


 この詩から2つの点を教えられました。

 第一。感謝(創造主、歴史の神、個々人の苦しい生活経験)が民族の精神的共同経験となって脈々と生きていること。

 浅野順一氏は1950年代になされたこの詩の講解で、まず第一に25節の「食物」の問題に目を留めています。

 空腹は日本においても民族的経験でした。

 しかし、その後、その経験は開かれた(他の民族の貧困をそちらの側に立って理解しようとする)精神的共同経験とはなりませんでしたし、またこの詩のような歌も生まれませんでした。

 インドのカルカッタは最も貧しい人たちが多くいる街ですが、そこから、マザーテレサは「飢えている人々は、物的に貧しいが精神的に豊かである」と言っています。

 そこには精神的共同があります。


 第二。繰り返されている「いつくしみ」は”へセッド”という語です。

 旧約学者のスネイスはこの語について「神の契約の愛」と言っています。

 選びの愛は決断や一回的な意志ですが、”へセッド”は約束に基づく持続です。

 ホセアは妻の不倫に耐える経験を通し、神がイスラエルの背信に耐える”へセッド”の神であることを悟りました。

 個々人の生活経験の中にも、また教会としても、また民族としても、神の”へセッド”・持続の愛・いつくしみの経験というものがあります。

 そのことは感謝です。それを大事にしていきたいと思います。

(1980年3月2日 神戸教会礼拝説教要旨 岩井健作)


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