取税人と食事をする(2009 小磯良平 ⑱)

2009.3.18(水)12:20-13:00、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」⑱

(明治学院教会牧師、健作さん75歳、『聖書の風景 − 小磯良平の聖書挿絵』出版10年前)

画像は小磯良平画伯「取税人と食事をする」

(サイト記)集会当日の”声”を反映したバージョンです。

マタイ9:9-13、マルコ2:13-17 、ルカ5:27-32

1.この絵の中で“取税人”はどの人だろうか?

 こんな関心から会話は始まりました。

「イエスは中心に描かれていますからすぐ分かります。小磯さんらしくイエスを、光に包つんで表現していますね」
「どこからか光がさすというのではなく、ここではイエス自身が輝いています」
「そう、イエスを囲む人達を照らしている様子が“白”でさりげなく表わされていますね」
「そう、立っている人の顔や手も光を受けていますよ」

「この立っている二人はテキストのファリサイ派の人々(マルコはファリサイ派の律法学者)でしょう。取税人と同席するイエスに詰め寄っている様子が出ています」
「この場面で応戦しているのはイエスの弟子たちの1人でしょうか」
「するとイエスの右隣がレビですか」
「ホステス役が奥の右隣というのはちょっとおかしいし、表情も落ち着き払った威張った感じがしませんか」


「すると手前の横向きの人か、または後ろ向きの人ですね」
「左の横顔の人はファリサイ派の人の方に顔を向けていますが、背中の人はファリサイ派の言葉をやり過ごして、ただイエスの方にだけ顔を向けているようです。この人は後ろ向きですが、どうもこの人がレビのような気がしますが、いかがですか」
「食事に招いたレビの心境から考え、またホスト役の位置関係からみると、どうも後ろ向きの人が本人ではないかと私には思えるのですが」
「『弟子にする』といわれて、従う決心をして、食事の機会が持てた、という複雑な気持ちを背中で表現するというのは画家らしい思いがします」

2.「小磯さんの聖画入り聖書は“口語訳”だったので、『取税人』と訳されていますが、“新共同訳”では『徴税人』ですね」
「調べたら、最近の他の訳には両方あります。『取税人』(田川訳、フランシスコ会訳)『徴税人』(岩波訳)」
「この人たちのイメージがはっきりしないのですが」

 これはちょっと解説をします。収税所はカファナウムの通行税徴収所。ローマ帝国国庫ではなく領主ヘロデ・アンティパス(6:14)に納められた税金です。

 徴税人には二種類の人がいます。一つは徴税請負人です。一定地域の徴税権を前払いの入札によって買います。税額は彼らの裁量に任せられました。実際の徴税額と請負との差額は彼らの収入になりました。それゆえ過酷な課税が行われることで嫌われ、売国奴的職業として嫌われ、彼らが常時接する異邦人の宗教との接触によって嫌われていました。

 もう一つは、請負人に使われている下請けの役人です。レビはその下請け役人でした。彼らはむしろ中間で搾取されつつ搾取する立場でもあったので、ボスの酷使と民衆の憎悪との間で大変苦しい立場にあった人達です。ユダヤ律法の神殿へ捧げ物が守れなかったゆえ「罪人」といわれていた人達と同等に扱われ、蔑まれていました。イエスはこのような者に声をかけられました。

3、今日のところにテキストが3つあります。マルコがもともとあってマタイ、ルカがそれぞれに自分に合わせて話を変えています。

「罪人を招くため」「食事」(マルコ、マタイ)、ルカでは「……悔い改めさせる」が加わり「盛大な宴会」に変わっています。なぜマタイでは「レビ」が「マタイ」になったのか、いろいろ意見がありますが、注解書をみましたが本当のところよく分かりません。

4.マタイは「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」(ホセア6:6 の引用)を加えます。イエスの食事の意義付けを「憐れみ」としています。

 ユダヤ教では食事は神が与え給うたものと考えます。食物を感謝をもって聖別し、食することは一種の礼拝行為でした。ですから食事が罪人により汚されないように、自宅で食事をした、とあるぐらいですから、イエスの共なる食事を「憐れみ」として強調しているのです。

5.マルコの15節は編集句、16-17節は論争物語。

① 場面の設定(16a)
② 抗議(16b)
③ 決定的な反論(17)

 という形式を持っています。ファリサイ派へのイエスの「罪人を招くため」という答えをどう理解するかについて、聖書学者の田川建三さんは、イエスの徹底した逆説であって、共に食事をすることで罪人がそのまま神の国に招き入れられることを示し、

『義人』というものの枠組を設定する者に対する、反逆の叫び

(『イエスという男 ―逆説的反抗者の生と死』三一書房 1980、p.57)といっています。

6.小磯さんのイエスはそんな激しいことを言っているようには見えませんが、ファリサイ派の雑言には馬耳東風といった表情です。また、小磯さんの長年の新聞挿絵を収録した目録を見ると、結構「後ろ姿」で小説の人物の表現をしているものがたくさんあります(『神戸市立小磯記念美術館所蔵作品目録 Vol.3』1999年3月31日)。

(注)ファリサイ派。紀元前2世紀、ヘレニズム化に抗してユダヤ教の信仰の純粋を守ろうとしたハシーディーム(敬虔な者たち)に遡る。祭司もいたが、職人、農夫、商人など一般信徒も。後に律法を生活の中心に据え、祭儀的清浄を重んじ、一般大衆から分離していくことから、”分離”(ヘブル語:ペルシーム)に由来してファリサイ(パリサイ)派と呼ばれた。

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洋画家・小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ

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