1977年2月27日、3月6日、13日、20日 岩国教会週報
1977年2月16日 教会セミナー発題(岩井健作)で紹介した祈り
(岩国教会牧師12年目、健作さん43歳)
(これは、先日2月16日の教会セミナー発題「公同の祈り」について学んだ時に紹介した韓国教会の婦人の祈りです。二人の息子を朴政権により獄中に奪われている金ミョンチン夫人の1974年9月22日集会の祈りは、会衆全員が涙にむせんだと伝えられます。長いので連載します)
(金ミョンチンの祈り)
神様が私たちを愛し、独り子イエス・キリストによって私たちをあなたの子として生かしめ、また神のみ前に祈ることのできる特権を与えて下さったことを心から感謝いたします。この席には愛する子供たちを拘束されている多くの母親とその悲しみを共に分かち合おうとする母たちとが心と思いを合わせて祈っております。どうか、この祈りが、その昔ソロモン王の祈りのように、真に神のみこころにかなう祈りとなるようにして下さい。そして、私たちの求めるところにまさって溢れるばかりの祝福を下さるように切に願い求めます。
天の父よ、私たちの愛する子供たちが獄に囚われてから、いつか春も逝き、夏も過ぎて、ひえびえとした秋になりました。秋夕(節日)を数日の後にして、私たち母親には悲しみの心と涙をとどめるすべがありません。この苦しい思いをやる方なく時には山の上をさすらいつつ神の前にいたく嘆き泣き叫びました。また、夜を徹して神にすがりつつ涙の訴えもしました。今はこれ以上遅くし給うことなく、私たちを憐れみ、私たちの祈りにお答え下さい。
天の父よ、私たちの子供の心の内をご覧下さいませ。彼らは自己の安逸と幸福とを念頭に置くことなく心から隣り人を愛しました。彼らの中には延禧洞の貧しい子供たちのために夜学で奉仕していた者もあります。
また疎外された靴磨きや新聞売りの子供たちに神様のみ言葉を証ししていた者も、かわいそうな孤児たちの友と進んでなった者もあります。彼らは神のみ言葉に誠実であり、不義を憎み、真と偽りを区別し、多くの人々にキリストの愛を悟らせ、愛を実践しようと努めました。今もあの子たちは、獄中で、キリストを信じていない兄弟たちにみ言葉を伝え、パンの一欠片も分かち合って食べているという便りを聞くとき、神のみ前に感謝せずにはいられません。
父なる神様。彼らの苦しみをご覧下さい。彼らがあやまちを犯したというならば、7度を70倍するまで許し給うあなたが、彼らを悔い改めさせ、許し給うその日が一日も早く来るように切にお願いします。黄虎成のお母さんを憐れんで下さい。田舎で「アカの家」だと誤解されて、落胆して自殺を計りました。その彼女になぐさめをお与え下さい。金景南のお母さんを憐れんで下さい。日雇いをしながら子供の救援をしています。金永晙のお母さんは我が子に会うこともできず亡くなりました。そのお子さんは涙を流し、五日間も、ものを食べなかったといいます。そのご遺族を憐れんで下さい。その他にも多くのお母さんが苦しみを味わっています。これらのお母さんたちのために祈って下さい。
私たち母親は、いく夜も眠れぬ夜を過ごしてまいりました。風が吹き、雨が降る時には、我が子を思い、眠ることができないのです。道を歩いて子供の友達と会うと胸が詰まって声も出ません。また毎日食卓に向かって食べ物を見ると、どうして子供たちを思い出さずにおられましょうか。
主よ、私の胸の痛みをどう言い表しましょうか。天の父よ、私たちは心から神の前に悔い改めます。どうか、この国、この民族を憐れんで下さい。過ぎた日に我が子だけに、良いものを食べさせ、良いものを着せようとした罪をお許し下さい。本当にキリストの十字架を証しすることができないで、我が子が世間で皆が望むような出世をすることを期待していた罪をお許し下さい。多くの貧しい隣り人を見ながら、彼らの隣人となるのを避けてきたことをおゆるしください。また、この国の不遇な寡婦(やもめ)や孤児(みなしご)たちの苦しみに顔をそむけ、いろいろなおごりを喜んで求めていた母親たちの罪をお許し下さい。今、私たちは愛する子供を通して、神様が私たち母親に何を求めてい給うかをさとりました。人のお子さんたちも、我が子のように愛しなさいということです。
天の父よ、私たちに信仰を与えて、この難しい試みに打ち勝ち、隣人のために献身奉仕することができるようお助け下さい。苦難を通して神の恵みがどれほど豊かであるかをさとり、全ての聖徒たちと心を合わせ、神の国が地に成ることを切に望みつつ、イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。
(1977年2月27日、3月6日、13日、20日 岩国教会週報 金ミョンチン)
2月16日 教会セミナーの週報での紹介(岩国教会2月20日週報、セミナー参加者14名)
岩井牧師により”公同の祈り”につき①神への叫びとしての個人の祈り、②会衆(神の民)の祈りを導く公同の祈り、③共同の祈りとしての「主の祈り」、④公同の祈りの準備と内容、の4点につき、いくつかの祈りの例をあげ、発題が行われました。その後、礼拝における祈り等をめぐり、討論が行われました。
金大中氏の最終陳述から(岩国教会3月20日週報)
「この10ヶ月間、私は刑務所に入っている中で、神が私を刑務所へ導いて下ったと自覚するようになりました。…被告人たちはさまざまな抑圧に打ち克つことによって、精神的に進歩することができ、成長してきたと自負しております。このことによって神の御業がいかに偉大なものであるかを知るものであります。わが韓国では、エキュメニカル運動がありましたが、今カトリックとプロテスタント教会がさして努力をすることもなく密接な関係を持つようになりました。これも神の御働きによるものであります。従って私は判決がどのようなものであろうとも、私たちはすでに勝利を勝ち得たと確信しています。…政府は私を殺すことができます。しかし、いかなる状況にあっても、私の国民に対する信頼と神への信仰は変わるところはありえません。」(「韓国通信 第15号 1977年1月20日号」)






