アモスよ甦れ《アモス書 5:21-25》(1988 週報・説教要旨)

1988年2月7日、降誕節第7主日
(説教要旨は翌週週報に掲載)
この週「兵庫教区2.11集会」
《沖縄から見た天皇制》
ー 沖縄キリスト者の発言
2月11日(木)”建国記念の日(旧紀元節)”
於神戸YWCA

(牧会30年、神戸教会牧師11年、健作さん54歳)

アモス書 5:21-25、説教題「アモスよ甦れ」岩井健作

 ”公道を水のように、正義をつきない川のように流れさせよ”(アモス書 5:24、口語訳)


 先週と今日と、主日礼拝の週報と共に二つのビラが配布された。

 一つは在日大韓教会協力献金の訴えであり、もう一つは教団の「2・11メッセージ」である。

 どちらも過去・現在の国家の管理・支配の問題に対して、教会がそれを信仰の視点からどう捉えるかに関連している。

 聖書の中には、民衆の国家管理を抑圧される者の側から批判的に描写し、神との関わりを訴える書物が多く含まれている。

 今日はその代表的なものである旧約聖書の『アモス書』を取り上げたい。

 アモス書は「12小預言書」の一つである。

 イスラエル民族は、出エジプトの後、部族間の宗教連合により治められてきたが、紀元前10世紀にダビデにより統一王国が形成され、その後、北イスラエル王国・南ユダ王国に分裂した。

 アモスは、北王国のヤラベアム2世の時代の人である。

 この頃、北のアッシリア、南のエジプトの勢力が強く、それも手伝って、北イスラエルは大いに繁栄した。

 しかし、国内では富の集中が進み、貧しい階層が出現した。

 その背後には、権力を持つ側の不正・不義があった。

 アモスは言う。

 ”あなたがたは、正しい者をしえたげ(虐げ)、まいない(賄賂)を取り、門(裁判)で貧しい者を退ける。それゆえ、このような時には賢い者は沈黙する。これは悪い時代だからである。”(アモス書 5:12、口語訳)

 アモスは牧畜を生業(なりわい)としていた。

 《ヤハウェ信仰に基づく契約共同体の理念》を日常の人間関係に活かしていた。

 彼はその生活の場で、神の召命を受け、預言活動をしていた。

 今日の箇所である5章21節〜25節は、彼が一方でダンの聖所で行われていた巡礼の祭儀を批判し、他方で貧しい者たちを顧みる正義の実現を求めた箇所である。

 アモスは宗教祭儀を否定したのではない。

 繁栄に潤う上層部の人たちが、巡礼という祭りに開放感を求めて、歌を歌う。

 他方で、弱い立場の者を足蹴にしていることの無自覚さがここでは批判されている。

 正義の実践と巡礼の祭儀とがバラバラになってしまっていて、統合されていないことを鋭く批判している。

 これはまた、極めて現代的問題でもある。

 例えば、人種差別を国是とする南アフリカ連邦と日本が貿易拡大を行なっていることに、痛みを覚えることなく、他方で世界宗教者平和会議が招集できる日本の宗教教団指導者の感覚などは如何であろうか。

 これを私たちの生活領域に引き移して考えると、私たちも同じようなことを行なっていたり、無自覚であったりすることに気づく。

 少なくとも、国家管理の潮流に身を委ねてしまうのではなく、隣人の悲しみを受け止める感性を与えられたい。

 そのことを祈り求めたい。

(1988年2月7日 説教要旨 岩井健作)


1988年 説教・週報・等々
(神戸教会10〜11年目)

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