1976年9月19日 岩国教会週報
「先週説教より」使徒行伝6:1-7
(岩国教会牧師12年、健作さん43歳)
日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。(使徒行伝6:1)
「奉仕というんだから、『大売り出し特別大奉仕』のように、何かがもらえることだと思う」ーー子供のこの素朴な声を「教会の奉仕」の根本にまで引き寄せて捉えた"犬養光博牧師"の話は、「奉仕」という言葉の意味をあらためて問い返すものとして、今も深く印象に残っている。
我々の力で何かをするというより、"仕えていく(奉仕)"ことの中で、恵みを受けるということが忘れられてはならない。
さて、使徒行伝6章では、日々の配給(ディアコニア:奉仕、働きと訳される)のことで、奉仕の問題に光をあてている。どんなにうまく奉仕をしても苦情が出る背景には、ユダヤ人とギリシア人の民族の違いの問題(そこから派生したギリシア語を使うユダヤ人との問題)がある。
使徒行伝は「日々の配給」という小さな問題を導入として、「神は人をかたよりみない」(使徒行伝10:34)という異邦人伝道への新しい道を指示していく。
教会の奉仕は、その初めから"異なる民族にどう仕えてゆくか"という問題を含んでいたことが示されている。
日本の教会の歴史には、国家の推進する朝鮮民族同化政策に教会が協力したという傷がある。初代教会が手立てを尽くして「日々の配給」の問題に真剣に取り組んだことを改めて思う。
石川啄木は「地図の上 朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ秋風を聴く」(1910年、韓国併合後)と歌って閉塞した時代の中で、他民族の苦しみを思った。
韓国教会の現在の信仰の戦い(民主化闘争、獄中の政治犯救援)への「日々の奉仕」を見つけ出していきたい。
(1976年9月12日 説教 岩井健作)
(報告欄より)
共同の祈り「教会教育の充実のために」
礼拝後、婦人会委員会、社会部委員会、夕礼拝。
岩国東分区牧師会 20日(月)
祈祷会 22日(水)
山手家庭集会、和室家庭会 24日(金)
バザー実行委員会 25日(土)
友愛セール 25日(土)
(お願い)
台風で被災した小豆島内海教会をはじめ四国教区内の被災教会への救援募金にご協力ください。


