1995.2.19、神戸教会週報、降誕節第8主日日
(震災から33日目)
▶️ 週報「地震の後に(Ⅴ)」
(神戸教会牧師17年目、牧会36年、健作さん61歳)
詩編130編1〜8節
”深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。”(詩編130:1-3、新共同訳)
今年は1995年です。1945年から数えて50年目にあたります。
1945年2月19日、つまり50年前の今日はどんな日だったのでしょうか。
試みに『近代日本総合年表』を引いてみました。政治では「2月19日、米軍硫黄島に上陸。3月17日、守備隊全滅、戦死2万3千」。社会では「戦局悪化し、敗北的なデマ増加。東京で1月以来検事局に送致40件余」。思想では「2月18日、日本聖公会主教佐々木鎮次スパイ嫌疑により九段憲兵隊に連行、拘禁される」…など、太平洋戦争下の暗い出来事が記録されています。
それから少し経って、東京で3月9日から10日にかけて、東京の江東地区の大空襲がありました。23万戸焼失、死傷者数12万人とあります。
私は小学校5年生の三学期ももう少しで終わる頃でした。東京の杉並の永福町にいて、東方の空全体が暗く煙に包まれて、騒然として、恐怖が街全体をしめつけるようだったことを今でも鮮やかに思い起こします。
50年経った今年の1月17日の地震後の火災は、そのことを思い起こさせました。
よくテレビで報道された、長田区の菅原通の商店街、ゴム靴の工場が密集していて焼けてしまった地区に、案内を請われて、二度ほど同道いたしました。
東京で体験した空襲の焼跡を思い起こさせ、人が亡くなられた所に家族が花を置いてあるのがあちこちに見受けられ、ちょうど、墓地を訪れた時のような思いを抱きました。
思わず膝をかがめ、しばし祈らざるを得ない思いにさせられました。そこに立っている限りにおいては、この50年間の様々な虚飾としての繁栄がすっ飛んでしまい、戦後50年の長い期間、ほんとうには触れてこなかったこと、それでいて触れざるを得ないものが、あらわになっている思いがいたしました。
そうして、どういうわけか、いつも読んでいるあの詩篇130篇の言葉が、鮮烈に心に思い浮かんで仕方がありませんでした。
”主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。”(詩編130:3、新共同訳)
この詩篇は、今朝お読みいただいた詩篇です。
「もろもろの不義」という言葉が気になって仕方がありません。
新共同訳は「罪をすべて」と訳しています。関根正雄訳では「もし罪を罪とし給うなら」と訳されています。そこには、神が罪を罪としてひとたび目にとめられるならば、という意味が込められています。
兵庫県で、この地震で亡くなられた方は今日現在わかっている方が5359人だと伝えられています。おそらく、紙一重で生命を長らえている方の立場から言えば、何故あの方が亡くなられて、私が生かされているか、という思いを、地震以来多くの方が持たれていることと思います。私もその一人です。
ある意味では、地震を体験した者は皆そういう立場にあるわけです。今朝も、かつて石井幼稚園の教師だった方の娘さんが、あの時動いて倒れたピアノの下敷きになって亡くなられたお話をお聞きしました。
戦後50年、日本はいろいろな虚飾をまとって繁栄してきました。繁栄が悪いというのではありません。その繁栄が「もろもろの不義」を含んでいることに気がついていながら、悲痛な叫びをあげている人の声に魂を震わせてこなかった、ということです。
「義人なし、一人だになし」と言ったのは、ローマ書を書いたパウロです(ローマ 3:10)。「もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言葉は私たちのうちにない」と言ったのは第一ヨハネの著者です(ヨハネ第一 1:10)。
私は文明評論的に、日本人一般が「もろもろの不義」に気がつかないまま、戦後をひた走りに走ってきたのだ、ということを言おうとしているのではありません。
もし、神が、私自身の「もろもろの不義」に目をとめられるならば、私は立つことができない、ということです。「立つ」とは「耐える」という意味です。耐えられない者が、あえて、生かされているということです。
毎日の人間関係においても、社会に対する立場の取り方においても、神への信頼の度合いにおいても、「もろもろの不義」という言葉に一旦足を絡め取られると、どうも身動きができないような思いになります。
そこで、私は、この詩を3節で止めないで、4節5節までを一気に読むことに気づかされました。
一気に読んだ時に、4節の冒頭の「しかし」というのは「事柄」としては、たいへん大きな出来事なのです。「しかしあなたには、ゆるしがあるので」ー《にも関わらず》、あなたにはゆるしがある。本当は「もろもろの不義」が数え上げられるならば、それに耐えらえる人は一人もいないのに、それを数えあげないで、耐えている方がいる。神ご自身が耐えておられる。新約で言えば、イエスが背信の弟子たちを包んでいるということです。事柄から言えば、ゆるしがあるので、逆にもろもろの不義をのぞき見ることが許されているのかもしれません。
”しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。”(詩編 130:4-5、新共同訳)
長田の焼跡に行くと、二度とも感じたのですが、ただ、それを外側からすごいことだと見てはいけない、という気持ちにさせられます。過去のこととして見てはいけない、ということでもあります。
そこで焼け死んだ人たちの死をどう受け止め、その死はいのちに替えていくという残された者の思いなしには、あの焼跡をのぞいてはならない、という気にさせられます。
大げさに言えば、新しく生きる決意みたいなものを抱くことなしに、あそこへは不用意に行ってはいけないのだという思いを持ちます。
亡くなられた方たちを受け入れ、いのちのうちに包み込んでくださる方を信じる時、あの焼跡は過去ではなくて、現在であり将来であり得るのだと存じます。
詩篇の130篇は3節から5節を繰り返し、一気に読み、さらには7節8節までを一気に読むことができるならば、あの「もろもろの不義」に絡め取られることなく、「もろもろの不義」を自分のこととして捉えることができます。《しかし》という転換を手掛かりに、一気にそこを通ることが許されます。
”イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。主はイスラエルをそのもろもろの不義からあがなわれます。”(詩編130:7-8、新共同訳)
北欧民話に『三びきのやぎのがらがらどん』というお話があり、幼児たちが大好きな本です。
草のある緑の牧場の途中には谷川があり、橋があって、その橋の下には、気味の悪い大きなトロルが住んでいて、やぎを食べようとします。1番目と2番目のやぎは、後から来るやぎが大きいから食べるならそれを食べるように、と言い訳をして通ってしまいます。三びき目のやぎは、ものすごい勢いでトロルをツノで串刺しにして、蹄で木っ端微塵にしてしまって、その橋を通り抜けます。「チョキン、パチン、ストン。はなしはおしまい」で終わります。大変痛快なお話です。
詩篇130篇とどこか通じるところがあります。それは、一気に突っ走っているところです。橋の上で立ち止まると、トロルに食べられてしまいます。お話の中にあるトロルのような存在、私たちを捕らえる「もろもろの不義」のいるのが現実です。
「もろもろの不義」を抱え込んで私たちは生きています。それを突破して、ゆるされ、あがなわれ、「主によって望みを抱け」と励まされて生きるところまで、一気に突き抜けて走ることが、私たちには許されています。
7節にはこうあります。「イスラエルよ、主によって望みを抱け。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。」
先週、私は、ちょっとしたきっかけで、尹東柱(ユンドンジュ)という詩人の詩に触れる機会を得ました。彼は韓国の専門学校を出て、立教大学に留学していましたが、1942年10月1日、同志社大学文学部に専科生として入学しました。
しかし、ハングルで詩を書いたことが独立運動につながるとして、1943年7月14日、下鴨署に逮捕され、1945年2月16日、27歳の若さで福岡刑務所で獄死しました。彼の詩100編余りを友人たちが甕に隠して地下に保存したといいます。この人は、同志社に学んでいたのに、専科生であったためか、当時の教授も学生も誰一人彼のことを記憶にとどめていないそうです。
この人の詩集は『空と風と星と詩』という題で、伊吹郷氏によって訳されたものがあります。その中の一つに「たやすく書かれた詩」というのがあります。その一節です。
人生は生きがたいものなのに
詩がこうたやすく書けるのは
恥ずかしいことだ
「恥ずかしい」という感性は、奥深いところで神へのはじらい、聖書で言う「罪の自覚」に通じるものです。彼は韓国では三代目のキリスト者だそうです。
先週2月16日、彼の獄死の50年を記念して、同志社大学に建てられた詩碑には、彼の「序詩」と題する詩が刻まれています。
「死ぬ日まで空を仰ぎ、一点の恥辱なきことを」
こういう言葉は20代の若さでなければ書けないことです。長生きするほど恥多き人生になります。
「はじ」というのは韓国語で「プコロン、プロッタ」というそうです。きまりが悪い、気はずかしい、照れ臭い、という意味だそうです。ここで注目したいのは「はじ」という言葉をここでは単なる内省・反省という内向きだけで使っているのではなく、「星をうたう心で」「生きとし生けるものをいとおしまねば」という、「そしてわたしに与えられた道を歩みゆかねば」という、突き抜けた人へのやさしさへと結びつけていることです。
序詩 尹東柱(伊吹郷訳)
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵も星が風に吹き晒される。
詩編130編は、3〜5節へと一気に読むとき、そこには過去・現在・未来が一つに結びついています。
私たちが震災を経験したということは、私たちの過去と現在と将来とを一気に、自らのものとして生きる道を与えられたということではないでしょうか。
「生きとし生けるものをいとおしまねば、そして、わたしに与えられた道を歩みゆかねば」という詩に重ね合わせて、新しい時を生き始めたいと存じます。
祈ります。
父なる神、私たちは、今朝も礼拝を新しい思いで守りました。
地震で会堂を失ってしまった教会があります。それらの教会を支えて下さい。
それぞれに与えられた新しい道を歩み始めることができますように。
今より一層、私たちが、あなたのみ前での、そして隣人に対する不義を自覚し、悔い改め、ゆるされて生きることができますように。
主イエス・キリストのみ名により祈ります。
アーメン
(サイト追記)尹東柱については、この後『死ぬ日まで天を仰ぎ – キリスト者詩人・尹東柱』(日本基督教団出版局 1995年7月)が出版されました。
出典
『地の基震い動く時ー阪神大震災とキリスト教ー』(岩井健作、SCM研究会 1996)所収
『地の基震い動く時ー阪神淡路大震災と教会ー』(岩井健作、コイノニア社 2005)所収
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