1970年5月21日 岩国キリスト者平和の会々長 岩井健作
「18年の軌跡(岩国キリスト者平和の会の歩み)」所収
(1977年8月7日発行、岩国キリスト者平和の会、編集:岩井健作、来間高夫)
(岩国教会牧師5年度、健作さん36歳)
1969年6月:自民党議員により(第一次)靖国法案国会提出(8月廃案)。
1970年3月:大阪万博(キリスト教館参加)を契機に教団の体質が問われる。
1970年3月11日:東神大機動隊導入
1970年4月:岩国地区4教会牧師による米兵のための「英語で話す集会」及び「教職者会議」による良心的兵役拒否者支援が行われる。
1970年4月:自民党議員立法により靖国法案国会提出(5月廃案)。
安保条約の固定期限の切れる1970年6月23日を間近にして、平和運動の一般的状況は、極めて暗い見通しと言わざるを得ない。革新を名乗る既成左翼は、社会党の退廃を頂点として、高度経済成長の体制の流れの中に巻き込まれて、体制側の巧みな70年対策ペースを破ることは出来なかった。また新左翼の問題提起は思想課題としては深まりつつも、権力による力の制圧(機動隊の高圧的弾圧)の前に散らされ、潜航化しつつある。他方、体制側は6月の争点を避けつつ、巧みに新しいアジア安保としての軍事体制の基礎を作るため、国民の関心を万博に向けさせ、その間に、文化・教育・経済・政治のあらゆる分野での反動化を図りつつある。
このような巧みな体制の攻撃に対して、反体制の姿勢が何であるかが、厳しく問われねばならなかったのが、1969年度の様々な課題であった。戦いの戦線は、ある意味で著しく身近なところまで押し迫られてきている。つまり、戦いの主体、変革の主体が根本から問われている。その意味では、平和運動は著しく個人原理に立つことを迫られてきていると言えるであろう。しかし、反面その個人原理は孤立ではなく国際的な普遍性をも同時に持ってきている。以上の如き点から、岩国キリスト者平和の会の1年を振り返り、今後の方向を考えてゆきたい。
1.基地撤去の戦いは、岩国キリスト者平和の会の最大の行動目標である。「基地をなくす会」の構成団体としての意味は、既成左翼内で、基地撤去の倫理的視点(戦争の加害者とならない)を発言してゆくことであると確認された。反戦GI、べ平連、左派共産党の基地撤去運動等の情勢をよく掴み、反戦GI支援、市民各層に基地反対の倫理的考え方を訴え、右翼国防思想と戦う等が今後の課題である。1970年6月7-8日開催の基地セミナーへの取り組みが当面の課題である。
2.靖国法案阻止。1970年5月13日で閉会した国会でも廃案になったが、11月臨時国会では高姿勢で対決してでも成立を図ることが予想される。これに対して教会は、反対の取り組みが遅れている。「19世紀的な(個人の)敬虔主義」という信仰のパターンから抜け出せないことからくる教会全体の体質が表れている。結局はどうでもよいこと、信仰とは別なこと、という考え方が底を流れていないかどうか。もう一度、私たちの内部を問い起こして、運動を組み立てる必要がある。
3.日本キリスト者平和の会との関係。高木問題は4月例会で激しく議論された。特定の政党に密着した方針で運動を展開してきた日キ平との関係が問い直されねばならない時期にあるのではないか。
4.体制の反動化が強くなった中で、自立した平和運動の主体であること自体が重要になってきた。運動のプログラムは小さくとも、なすべきことを成してゆきたいと思う。13年間、よきリーダーであった杉原牧師を広島に送り、残された者の自主性がいよいよ問われる1970年となるであろう。
(1970年5月21日 岩井健作)
(1967年度)(1968年度)(1969年度)(1970年度)(1971年度)(1975年度)(1976年度)


