キリスト教史学会の講演をお引き受けして(2006 学会前)

2006.8.23 執筆、「キリスト教史学会第57回大会(9月29日)」講演の案内冊子

講演原稿「神戸のキリスト教 ー その光と影 『近代日本と神戸教会』が問うたこと、問えなかったこと」
2006.9.29、キリスト教史学会第57回大会「特別講演」於 神戸海星女子学院大学

(明治学院教会牧師、73歳)

「ビデオを作りましょうよ。一般の人や神戸のキリスト教学校に新入学した学生が、キリスト教概説の時間、副教材として1講義90分で見て、これが神戸のキリスト教だと、一目で分かるようなドキュメンタリー・ドラマを」

 寝耳に水、夢か幻の話だった。神戸聖書展の折、「神戸と聖書」を本にまとめる出版委員をお引き受けし、思案していた時、中永公子さん(キリスト教史学会々員)にその構想を相談した時の、予期しなかった答えだった。

 そうして『基督 in 神戸』全2巻は実現した。それには「奇跡」といってもよい物語があった。今回の「史学会」で欲しい方があれば差し上げますとのこと(多少のカンパをご配慮ください)。

「旅人のように“港町の教会”に“牧師”の役目を与えられて、私たちは24年を風のように吹き抜けました」

 これは私が神戸を去る時(2002春)の挨拶文です。その気持ちは今も変っていません。だから神戸の街、神戸のキリスト教を見る目は、吹き抜けて通った「牧会者の目」につきます。

 研究者は体系的に、総括的に、鳥瞰図的に、客観的に、対称的に、通時的に、理論的に、この街とそのキリスト教を扱うでしょう。それなりにその蓄積がその分野にはあります。しかし、牧会者は、細部の事柄にかかわって、虫瞰図的に、共時(共苦)的に、部分的に、関係的に、感覚的に、「キリスト教」を生きる事だけが、役目です。

「史学会」の「講演者」にふさわしい要素は全く持ち合わせていません。「神戸のキリスト教」についての知識も持ち合わせてはいません。でも、今回の「貴会」からの依頼を敢えてお受けしたのは、一人の牧会者の目で見た「神戸のキリスト教」に触れ合っていただければという思いからです。神戸は私の第何番目かの故郷だからです。

 神戸での24年は、「牧師の役目」でした。それは、牧会(神が愛され失われてはならない一人の人への配慮。キリスト者であるか否かは問われない)と宣教(まずは、牧師の質が問われる「説教」。伝道、教育、社会への働き。教会のプログラムが中心になるけれども、そのエクステンション「広がり、外延」が多い。幼児教育、キリスト教主義学校、YM・YW,社会福祉、それに様々な社会実践[反戦平和や人権や反差別の活動]。幼稚園[私の場合]関係包括団体。各個教会を包括する日本基督教団、兵庫教区の役割と働き)。それに教会運営(もちろん会員・役員の役目だが、気配りはいる)。

 24年間、自分でもよく務められたと思っています。その神戸教会で、日常以外に出会った出来事が二つあります。一つは「地震」。もう一つは「教会史」の作成です。

 後者は、結果として『近代日本と神戸教会』(創元社 1992、7,000円)という本が出来ました。出版ルートから引き上げて久しいのですが、神戸教会には、残部がまだまだあります(連絡くだされば3000円で振替用紙をいれてお送りする様に、現在の牧師・菅根信彦氏に頼んでおきました)。どんな本なのか、神戸新聞のブックレヴューを、この冊子に付けていただく様お願いいたしました。

 この本、研究会を始めてから10年かかりました。
 編集・執筆者のことをまずお話したいのです。

 笠原芳光さん。近年は『イエス−逆説の生涯』(春秋社 1999)で知られているように「キリスト教の止揚」を生きる宗教思想史家である。だから「教会史」が正統的信仰を前提にした紀伝体的叙述の宣教発展史の方法を取ることはまず有り得ません。

「人間の危機に直面して、新しいヒューマニズムともゆうべきものを樹立する方途は」を述べます。

 武藤誠さん(故人)。関西学院名誉教授。同学院の学院史編集責任者。日本文化史。親の代から神戸教会員。終始「史料をして語らしめる」と厳しい編集指導に当たられました。

 中永公子さん。俳人。シナリオ・ライター、神戸女学院講師、女性史・キリスト教史。1985年から、山下薫子(神戸女学院司書、神戸教会員)さん、笠原さん、武藤さんの誘いで参加し、史料収集・構成、加えて解説文執筆を担当していいただきました。第三子「みしょうちゃん」が誕生したばかりで、ベビーカーを揺り動かしながら編集の仕事をなされていた事が忘れられません。

 この歴史書は第一に、一般向けである(教会・専門家向けではない)。第二に、特定の歴史観に立ってはいない。強いて言えば社会史的方法であるが、それも前提にはしていない。第三に「女性史」の目が底にある。

 以上は、この労作が問うてきた「光」でありましょう。しかし、敢えて、福音理解を「イエスの生涯と言葉」から照射するなら、日本近・現代の最も暗い部分に「神戸のキリスト教」が持つ課題はこれからではないのか。「影」を影として動き始めている「神戸のキリスト教」に期待したい。

講演原稿「神戸のキリスト教 ー その光と影 『近代日本と神戸教会』が問うたこと、問えなかったこと」
2006.9.29、キリスト教史学会第57回大会「特別講演」於 神戸海星女子学院大学

学会講演前(2006 学会・書簡)

出会いの人(2000 神戸・出会い)

あとがき 『近代日本と神戸教会』(1992 書籍)

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