学会講演前(2006 学会・書簡)

2006.8.29 執筆、「キリスト教史学会第57回大会(9月29日)」講演の応答者に宛てた書簡

T.K 先生

2006年8月29日

 拝啓 このたびはキリスト教史学会第57回大会で、思わぬ事で、場所が神戸という事で、学会員でもない私が特別講演者に立てられ戸惑っておりますが、何かの証しになればと思ってお引き受けしました。

 先生が「応答者」をお引き受けいただき感謝しております。さて、私は歴史研究者ではありませんので、そのような視点からのお話はしないつもりです。また出来ません。

 24年間をひたすら牧師として牧会・宣教に携わった人間ですから、その面ではいろいろな方の「生き様・人格・たましい」に出会いました。

 特に、お葬式は200回以上もさせていただきました。そのお一人お一人は「神戸のキリスト教」を生きた方です。そんな方を幾人か挙げて(例えば、牧会の鈴木玉子、福祉の水谷愛、洋画の小磯良平、音楽の吉田信、在日の韓晢曦[ハンソッキ]など)「神戸のキリスト教」を語りたいと思っています。

近代日本と神戸教会』は、そのような牧会のベースになっている意味で私には大切な本です。今回は、先生にはベースとしてそんなものもある、という事を知っていただいていれば幸いと思って、ぜひ目だけは通していただければと思っていました。H先生から『本』をお送りいただいたとのことで感謝しています。

 さらに、中永公子さんが中心となって作成した『基督 in 神戸』というビデオ2巻があります。それは、もしかしたらお持ちでないかもしれないので、念のため私からお送りする事にいたしました(贈呈)。関連して『本』『ビデオ』の雑誌紹介などもコピーを同封させていただきました。お目通しくだされば、幸甚です。

 このたび学会にお出かけになる方は、必ずしも、両方の、私が関係した『本』『ビデオ』は御存じない方が多いと思いましので、それはあくまでも背景として、お話を組み立てようと思います。

「神戸のキリスト教」の「明るい」部分は分かりやすいのです。また、語りやすいのです。しかし「暗い」部分は、自分が「今どうキリスト教を生きるか」に関係していますから、非主体的に、客観的には、語れません。

 暗い部分は、私には、近代以降の日本の「富国強兵」政策で人間が疎外され、失われた部分のように思われてなりません。また、アジアの犠牲者です。その侵略戦争への戦争加害者に、キリスト教も結局は主流で荷担してしまいました。

「神戸のキリスト教」についてそれをどう語るかは難しい事です。下手をするとイデオロギー的になります。それだけに『本』にしても『ビデオ』にしても、そこが十分に「問えなかったこと」ではないか、と自省を持っています。

 根本的には、「正統的キリスト教」にはそれが可能なのか、という問いを持っています。

 それを一般論で問題にするつもりは全くありません。自分の牧会でその視点をどう歩んできたのか、を語りたいと思います。

 連日、日常的業務に追いまくられる中でのお役目なので、何とか頑張ってお約束の一週間前に、講演の詳細なレジュメをお送りします。メールアドレスがあればお教えくださいませんでしょうか。もし、無ければ、H先生経由でお送りします。

 残暑厳しき折お大切になさってください。

岩 井 健 作

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講演原稿「神戸のキリスト教 ー その光と影 『近代日本と神戸教会』が問うたこと、問えなかったこと」
2006.9.29、キリスト教史学会第57回大会「特別講演」於 神戸海星女子学院大学

キリスト教史学会の講演をお引き受けして(2006 学会前)

あとがき 『近代日本と神戸教会』(1992 書籍)

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