声の碑 – 震災から7年

説教:阪神淡路大震災全逝去者記念礼拝
2002.1.17 (震災から7年目)

2005年版『地の基』所収

ヨハネ福音書 14:25-28

現象としての地震

 地震は今日まで、二つの事柄で私たちに迫ってきました。物理的な現象としての地震と社会的な出来事としての地震です。
 現象としての地震は、待ったなしの対応を私たちに迫ってきました。皆さんもその緊急性の中で救援活動を続けてこられ、7年が経ちました。それは絶えず新しい課題に応えるために持続されています。長田活動センターの働きもその一つです。今でも待った無しの対応を余儀なくされています。

 昨年夏、この近くの下山手8丁目の自治会長Kさんが、思いつめたような面持ちで訪ねて来られました。日本キリスト教団の救援センター運営委員会地域委員会が、応急仮設のプレハブを8丁目の自治会の切なる要請で、7年前に建てた所です。その仮設のプレハブを地主が8月末までに土地を明け渡してくれと言っているので、急いで撤去して欲しいとのことなのです。
 地震後、精一杯の活動を続けてきた自治会に自力撤去の力はありません。プレハブを設置した主体の委員会は、教団では現象としての地震は終わったとして終結してしまっています。無理をお願いして、兵庫教区議長の原野先生、実務担当で終始主導的に関わられた菅澤先生にお願いして、対応していただきました。
 建物は兵庫県佐用郡の梶原先生の地域の働きに再利用していただくこととなり、費用も教団の第一次募金から支弁いたしました。現象としての地震救援の緊急性は、ずっとこんな具合で、なお続いているのです。報道のメディアも、そのことをこの季節だけは記事として扱い、放映もします。
 新聞の見出しを拾ってみますと、例えば、「『戻りたい』なお448世帯、県外避難者、県が調査」、「『下町』の喪失深刻、『住みにくくなった』三割、震災7年被災者アンケートm 18地区の復興区画整理」といったように、現象としての地震は、まだまだ終わっていませんし、新たな問題を投げかけています。

出来事としての地震

一方、出来事としての地震も、現象としての地震と重層的に重なり合って起こっています。地震は出来事として多くの人の出会いをもたらしました。この7年の間、地震のゆえに与えられた交わりを皆さんもご経験になったと思います。ボランティアの働きは、現象としての地震と、出来事としての地震とが重ね合わさっている象徴的な事柄でした。今年もこの季節、旧仮設の住人たちや救援に働いた人たちが集まって、餅つきをして励まし合っています。
 出来事の地震と言えば、地震の逝去者記念礼拝では初めて用いられるこのパイプオルガンも、出来事としての地震の一つとして存在します。この会堂にパイプオルガンを備えたいという祈りと願いは、この教会に20年近く前からありました。ところが、「地震の街に心の癒しを」との祈りをもって捧げられた、ある匿名者の献金をきっかけにして、倒壊しなかった会堂を神がお用いになったがゆえに、ここにオルガンは存在します。地震の街の教会堂にオルガンがあるということは、地震の出来事の一つなのです。
 出来事と言えば、私には忘れられない一つの出来事があります。地震の後、私が取り組んだ一つのことは、日曜毎の説教を、とにかく活字にして、教会員のところに送り続けることでした。それがひょんなところで、ある方の目に留まり、小さな説教集にまとめてくださいました。その時、その小冊子を製作してくださったのが、シャローム工房のKさんでした。
 Kさんは、本の校正の時、私の地震理解の一節に自分は納得行かないところがある、という意見を申されました。印刷屋が論文の中身にまで立ち入るのは筋違いなのだが、と断った上で、私が「地震に物質や物、経済優先の文化に対する神の裁きの声を聞き取る」という意味のことを書いたことについて、自分はあの日、家屋と印刷の仕事場が全壊し、妻と長男を亡くし、小学生の長女と次女と私の三人が残り、やっと今、仕事の再建に漕ぎ着けた状態である。地震は弱者を襲った。奢りの文化を撃ったという理解には、納得しかねるという意味のことを申されました。それがKさんとの出会いでした。
 自分の観念的な地震理解を正されたことを感謝して、Kさんにはその後も仕事をお願いしました。その後、Kさんは属している教会の交わりで助けられたこと、天上の二人の家族と地上の三人の家族の生活などを折々に知らせてくださいました。

和らぐことなき傷

 三年ほど前、こんなメールが入っていました。
「『壊れた国 壊れたモノ 壊れた心』の出版を知りました。読ませていただきたいと思うと同時に、印刷屋として、声をかけていただきたかった、と少しスネております。シャローム工房をご贔屓に!」

 地震から5年経った時、こんなお手紙をいただきました。
 「12月の中旬が過ぎると、気持ちは1月17日に向かってしまうのです。あの日から5年、確かに記憶は遠のいていきます。したがって心の痛みも薄らいでいきます。しかし、薄らぐことはあっても、和らぐことはないというのが、5年を経た今の実感です。戦争や事故や犯罪や災害などで、心に傷を受けた人たちは、その痛みを生涯引きずっていくのだということを、身を以て知りました。お目にかかれる日を楽しみにしております」。

 しかし、そのお目にかかれる日はついに訪れませんでした。昨年5月、大学生と高校生になった二人の娘さんを残し、癌で倒れて天に召されました。避けられない遺伝的な因子によるもの、とのお医者さんの診断だったと言います。直接地震に関係がある、とは言えないかもしれません。50歳余、この7年の密度の濃い生活、激務、心労を思うと、涙がこぼれます。彼の死を聞いて、私のところにドッと地震の打撃が押し寄せてきました。彼のような真摯な人が、と思うと、地震は過去の現象ではなく、今起こっている出来事だと思わざるを得ません。
 地震という現象の中での死という以上に、「私たちに代わって苦しみを負い」という言葉が、どこか心をかすめます。かつて、災害や事件や事故や戦争で不慮の死を遂げた人たちについて、彼らの犠牲死を歴史の罪の贖罪者だと言った人がいます。狭い意味でキリスト教の教義としての贖罪信仰ではなくて、人間には不条理の死であっても、神がその死を受け入れてくださっているという意味であるならば、そこには「開かれた贖罪信仰」というものがあります。
 私たちは礼拝で、現象としての過去の死を悼んでいるわけではありません。出来事としての死を今、身と心で受け止めているのです。

声の碑

 さて、今日選んだ聖書テキストは、皆様がよくご存知のヨハネ福音書14章(口語訳)の聖霊の働きについての有名な箇所です。この箇所の25節と26節の間には、深い断絶があります。25節で「(話された)これらのこと」は、すでに話されたことであり、過去のことです。イエスがユダヤの現実で、見捨てられた人、切り捨てられた人、忘れられたに愛をもって関わり、励まし、慰め、勇気を与えた出来事だとしても、それは過去の物語になっていきます。26節は、それを破る力、現在化する力として聖霊が語られます。この箇所には、キーワードになる言葉が二つあります。それは「思い起こす(ヒュポムネーセイ、ヒュポミムネスコー)」と「平和」という言葉です。聖霊の働きは、現象としては過去になっていくことを、現在の出来事として呼び覚まし、その出来事を平和へと結実せしむるものだということが述べられています。
 私は今日「声の碑」という題をつけさせていただきました。「声」は、声としては常に新たに聞くもので、過去になれば声ではありません。「碑」とは、後世に伝えるために記念の文を刻んで建てた(方形の)石柱。石碑、墓碑、句碑、碑文、碑銘、建碑、口碑、詩碑、断碑。碑=(薄く平らな)石の意(『岩波漢和辞典』)。『広辞苑』には、「事跡を後世に伝えるため、文字を刻んで、建てておく石」とあります。原爆記念碑、戦争記念碑、そして阪神淡路大震災の記念碑がたくさんあることは、私たちが知るところです。事柄を現在化しようと思う努力です。しかし、単に碑を建てるだけであるなら、それもやがて過去をとどめるものになっていきます。
 碑を声にまでする力があるとすれば、それは聖書が語る聖霊の働きでありましょう。先ほどお話しした、亡くなられた印刷屋のKさんは、お連れ合いとご長男の記念誌として「紙の碑」という小冊子を作られました。妻なき後の妻への声が記されています。小冊子そのものは、過去になって古びていきます。しかし、その中の声は、Kさんのことを思うと、現在化して心に響いてきます。例えば、彼が、二人の女の子の食事について頑張っているあたりです。

 「9月14日。喜子は二学期に入ってから、一人で帰ってきてくれるので助かるよ。『できるだけお父さんの仕事の邪魔にならないように』と言って、自分にできる範囲のことは頑張っているんだね。私も負けないように頑張っているよ。天気の良い日は布団も干す。必要なものにはアイロンも当てる。料理も、教会へ行った日の昼の外食を除けば、ほとんど自分で作ったものを食べさせているよ。最近思うんだけど、あなたに『ちゃんとやってるよ』という報告をしたいために頑張っているような気がする。あなたに『ちゃんとやっているよ』と報告しなくちゃ……というのが今のところ唯一の原動力のような気がするんだよ。」

 「9月28日。今日もちゃんと弁当を作ったよ。いつもおにぎりでは芸がないと思って、今日は栗ご飯にした。昨日のよりはきれいにできた。…(絵が描いてある)…どうだい、ざっとこんなもんだ。」

 亡くなった方達の声が心に響いてきて、力になり、慰め、励ましになるのが、声の碑です。
 私には、1995年12月31日の朝日新聞の「天声人語」の話が今も心に響いてきます。

 「最初の揺れが去った後、幾つもの地区が火災に包まれた。73歳の父親が下半身を瓦礫に挟まれていた。子供たちが、両手を思いきり引っ張った。炎が迫った。父親は、穏やかに言った。『もう行け、もう行け』」

 これは、まさに「声の碑」です。
 今夕、私たちが記念する人たちはたくさんいます。その人たちの声、あるいは声にさえならない叫び、うめき、沈黙を、私たちの心に刻み、碑とまでしていくために祈っていきたいと思います。

 祈ります

 神さま、地震で亡くなった方たちを思います。一人一人の叫びがあるはずです。それはあなただけがご存知なのかもしれません。私たちもどうか、あなたに従うことにより、それを思い起こし、この世界の平和にまで、繋げていくことができますように。主イエスのみ名によって祈ります。アーメン