2005年秋、宣教の文脈(コンテキスト)(2005 宣教学44)

2005.9.26、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(44)

(明治学院教会牧師、健作さん72歳)

1.「小泉圧勝」後の神学塾はさすがに心が重い。なぜこの国の、この都市の人々はこのような結果を与えたのか。鎌倉は観光地なので秋の土日の街は古都を楽しむ人々であふれている。皆、都市生活の合間にしばしのくつろぎを求めている。おだやかな顔をした親しむべき旅人たちだ。この人達が小泉自民党に票を入れたのだと思うと心が沈む。筑紫哲也氏もそれに等しい思いを記している。

“「郵政」という大都市圏では痛みを伴わない「改革」を争点にしたのが小泉戦略の成功だった。……自民党の都市政党への脱皮が喧伝されている。が、それは突風のように起きたわけではない。その布石が市町村合併だった。「平成の大合併」……税金が地方に注ぎ込まれているという都市住民の怨嗟の高まりも背景にあった。……実際に「地方切り捨て」。極秘文書「人口減少下について−2030年の地域経済のシミュレーション」……これによると25年後にはゴーストタウン化する地域だらけになる。……奢れる都市住民の皆さん。……この国を一望の荒野にしていいのですか。自然の豊かな後背地を持たずに栄え続けた都市などはないはずですが”(「週刊金曜日」2005/9/23 筑紫哲也)

 彼は憲法や消費税が争点だったら結果は違っていただろうとも言う。
 諸悪の根源は「小選挙区制」であろう。この制度が強行された時この事態は暗に予測された。民意が反映されていない。死票が多い。今回小泉以外の票はそれなりにあった。自民は得票率から見れば破格の議席獲得を果たした。制度の罠でもある。マスメディアは小泉の「キャッチフレーズ」をあおった。戦後日本は、一方に「現実」の憲法体制を有し、それを生活意識の根底で支える人々が確固として存在していた。また今も存在している。それを政権政党は「現実路線」と称する安保体制をもって切り崩してきた。憲法体制を支える人達をどのようにして挫き、意識的にも少数派に追い込むか。これを有効ならしむる政治的手段が「小選挙区制」であった。あの時点で、いわゆる「護憲派」「生活擁護派」は政治の舞台から追い落とされた。と同時に、もともと疑似でしかない二大政党制が前面に降り立ち、政策は「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」一本となり、市場競争至上主義が経済政策の中心となった。政治は「生存条件」を多少なり考慮する軸足を「生産条件」重視へと急傾斜させていった。経済のバブルがはじけると同時に、世界を覆う経済のグローバリゼーションのなかで生き残りをかけて、企業はリストラを行い、海外逃避を行ってきた。その頃はすでに「労働組合」「労働者」「労働運動」という言葉が実質を持たなくなっていった。「パートタイマー」「フリーター」「ニート」が深刻な現実問題となってきた。現在、組合の組織率は2割だ。もちろんそこまで追い詰められる間での長く息苦しい抵抗の過程と物語はある。所得格差は急激に拡大し、貧困層の問題が露呈している。阪神淡路大震災後の市民グループの手による「被災者生活実態調査」に見る呻きの現実はそのような流れの中に位置付けられる。経済評論家・内橋克人氏は、「サラリーマンは覚悟を強いられることになる」(選挙後NHKラジオ放送)と述べた。「節度の経済学」「人間復興の経済」を提唱し、小泉改革を批判し続けてきた人にはつらい言葉だったに違いない。ここでいう覚悟は市民の経済生活(増税、福祉・医療・老人・教育、地方自治経費などの削減)の厳しさへの対応だけを意味しないであろう。同氏の日頃の発言からすれば「市民」としての根源的在り方をいう。「覚悟」とは一面つらい局面を意味するが、状況に対して主体的であり連帯的であることの自覚への促しを意味している。 「小泉圧勝」以後の改めてのメッセージとなる。ここはキリスト教の「宣教」の基本にかかわりのある部分であるだけに、神学的であると同時に宣教学的、実践的な論考を促されるところである(内橋克人氏の最近の論文集『誰のための改革か』2002/5 岩波書店、『もうひとつの日本は可能だ』2003/5 光文社、『市場経済至上主義を超えて−<節度の経済学>の時代』2003/12 朝日新聞社)。

2.「小泉圧勝」後、重い気持ちを引きずりながら、私がかかわる反戦市民運動の集会に参加した。「ファシズムに立ち向かおう!教育基本法と憲法の改悪を止めよう! 9・23全国集会」(主催:止めよう戦争への道!百万人署名運動)。

 会場の浅草「すみだリバーサイドホール」の入口広場に行って驚いた。私服の公安警察官がたむろし監視していた。後で聞くと120人いたそうだ。集会参加者は420人だというのに。開会の挨拶は日弁連の高山俊吉氏。小泉圧勝後、問題がはっきりして、単なる仲間から気付く仲間・行動する仲間へと運動を進める状況が生まれていると激励。日の丸・君が代で処分を受けた東京の女性教師のアピール。

 主題講演は浦部法穂(名古屋大学教授)「自民党の新憲法案を切る」。草案は「改正」ではなく「新憲法制定」による統治体制の根本的変革である。96条の手続きを逸脱した「国民の憲法制定権力」の簒奪である。現憲法の平和・人権・政教分離原則の根本的破壊であり、政府権力を規制する国民主権の性格を逆転させ、権力が国民に義務を課することになってる、と強く批判。

「つくる会」教科書採択と闘う杉並からのビデオを交えた報告は杉並の雰囲気にあふれる若い母親。イラク撤兵を求めて自衛隊基地で訴える元自衛官の関西での活動ビデオと報告。「高校生反戦ネットワーク」の女子高校生の力のこもったスピーチ。これは凄いと思った。全体の状況把握、教育現場の良心的教師への思いやりなど的確だ。

 闘う組合の象徴「千葉動労」の11/6集会アピール。教育基本法の改悪をとめよう全国連絡会の八代麻子共同事務局長(福岡在住)の訴え。これはユーモアに溢れていて愉快だった。埼玉の教科書の闘いのエネルギッシュな関根さんの報告。そして最後に西川重則事務局長の特別提起。①徹底学習。②実践活動。③国際連帯。この運動には意外とキリスト者が加わっている。この度の司会は三吉明さん(千葉教会担任牧師)。この運動の呼びかけ人リストにキリスト者を拾ってみる。石黒寅毅、岩井健作、大島孝一、大島静子、太田一男、小田原紀雄、島しず子、平良修、田上中、手島毅郎、中谷康子、西川重則、府上征三、三吉明、本島等、森田恒一、その他、地区地区での活動者には多くの人の名を聞いている。近辺では村山盛忠、高見敏雄、竹内宇。集会後交流会が持たれ、各地の活動がなされた。最後に締めくくりをした小田原氏は「百万人」はセクト主流の運動だと言われている。しかしそれだけであるなら、市民運動としての膨らみはなかったであろう。現に8年続いている。それを担ってきたのはそれぞれの地区の「市民」である。「戦争を止める」とはその時その時の足下の具体的行動をしなければ、先に進むことはできない。当面、イラク派兵延長を許さないための行動、教育基本法改悪阻止の行動が必要であろうと結んだ。この運動に参加して、ノンセクトの市民が、さらにはこの運動に身を置くセクトの「戦士」が、セクトの思考に問題を提起する場面を体験したのは私だけではないであろう。

3.教団は山北宣久議長名でイラク戦争開始以来幾つかの声明を出している。 2002/12/5[イージス艦派遣に抗議する」、
2003/2/13[アメリカの主にある兄弟姉妹そして教会の皆様へ]、
2003/3/20[議長談話(イラク攻撃開始に際して反対を述べ、日本政府への抗議をし、エフェソ 2:14-15を引用して<一つ一つの教会が平和を作り出す使命に志新たに立ちあがらざるを得ないことを強く思います>)]。
2003/9/30[声明(自民党総裁選後の改憲動向に対して、戦争に反対し、平和憲法護持をを訴えたもの。<戦争への歯止めをかけることは私たちキリスト者の良心であります。>]。

 なんと言葉が空しく響くものであろうか。

“「ことば」は「からだ」で語るものだと思います”という書き出しでこの10年間の身をかけた実践の中から報告を記録したのは横浜・寿の牧師・渡辺英俊氏である(渡辺英俊『現代の<低み>からの福音 地べたの神』新教出版 2005/7.岩井がキリスト新聞に「書評」を書いた)。

 彼のいう「からだ」が全くといってよいほどにないのが今の日本基督教団の議長の「ことば」であろう。「それ行け伝道」に「からだ」を預けて忙しいかもしれない。そうであれば格好いいリップサービスはしない方がよい。彼がアメリカのイラク侵攻以来「イラク戦争NO」といって街頭に立ったという報告を聞かない。渋谷は反戦デモの「銀座どおり」であったと思う。彼は渋谷に住んでいるというのに。なぜなのか。世界では一千万の人々が一斉にイラク反戦行動に立った日があった。その時のスローガンは「ONLY THE PEOPLE CAN STOP THE WAR」だった。PEOPLEを日本語でどのように訳したらよいか分からない。それはまだ実態が見えてこないからであろう。市民、人民、国民(憲法前文)、大衆、人々、民衆、選挙民、世人、庶民、どこかぴったりしない。私はこの語は幻の象徴概念だと思う。この語に託してもっとも抑圧され、差別され、孤立させられ、貧しくされた人々と自覚的に連帯して行動する時、象徴が実態を逆照射しているのではないかと思う。イエスが99匹を野におき1匹を探し求める(ルカ15:4)と言った時の思想における「人」を包み込んだ連帯だと信じる。

4.入江曜子著『教科書が危ない −「心のノート」と公民・歴史』(岩波新書 2004/4)を読んだ。鎌倉で10月の市長選に向けて「保守反動」の現市長に市政を委ねられない(特に教科書採択問題に関して)と思う市民的自由派の「鎌倉市民フォーラム」があった。出席すると、教科書問題でシャープな発言をする女性がいた。岩波からこの問題で2冊本を書いたという。入江さんだった。

 2002年、11億円を投じて文科省は全国の小中学生に『心のノート』を配付した。その前年「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が出されたことに呼応する。どの時代にも国家権力がもとめるイデオロギーを受け入れることのできる変化自在な心を作り上げる教育方針が求められてきた。その総仕上げ路線の一翼を担うのが『心のノート』である。これは硬質なイデオロギーの注入ではない。心という人間の精神作用を十分に加味した軟質のマインドコントロールの方法が採られる。国家が「あなた」と呼び掛けて一対一の形で働きかける。4つの大項目がある。「自分自身のこと」「他の人とのかかわり」「自然や崇高なるものとのかかわり」「集団や社会とのかかわり」。視覚的効果を存分に用いる。読んで考えるよりは見て感じる心を作り上げる。限り無く自己暗示へと導く。ポスター(イラスト)効果、詩がふんだんに用いられる。それは知らない間に「愛国心・皇民化教育」「伝統と歴史への回帰」〜「期待される人間像」へと導かれる。現憲法、教育基本法の人間像への真っ向からの挑戦、なしくずしを見事にやってのけるマジックがこの本には仕掛けられている。

「心を尽くし、精神をつくし、……あなたの主である神を愛しなさい」とは旧約の律法(申命記6:4)を総括した、イエス(マルコ12:28-34関連箇所)の教えである。「心(157用例)」は、旧約の[leb/lebab]の概念内容を継承し、人間の全体性を表しているという(『ギリシャ語新訳聖書釈義辞典㈼』教文館 1994)。

 教会が「神と隣人」に向かって人間の全体性を獲得することが教育を含む宣教であろう。それぞれの現場を検証しつつ、続けて論考を深めたい。

「岩井健作」の宣教学インデックス(2000-2007 宣教学)