憲法改悪阻止行動で考えたこと − 連帯における表層と深層(2005 宣教学 51)

2005.9.26、関西神学塾、「岩井健作」の宣教学(51)

(単立明治学院教会牧師 2005.9〜、健作さん72歳)

1.日本基督教団と日本国憲法の関係

 伝聞であるが、日本基督教団東京教区は今年の春の定期総会で、議員提案として出された「憲法改正に反対する」趣旨の議案を否決したという。聞き知った話の限りでは深い内容討議があったわけではなさそうである。提案者がかつての問題提起者に関係があるという表面的感情が議場に流れていたという事ぐらいしか判断できなかった。

 教団ではいまだに「坊主憎くけりゃ袈裟まで憎い」という諺が生きている。今、日本では憲法体制がどんなに危機であるのか。また、またこの憲法は「日本基督教団の宣教にとってどのような位置にあるのか」冷静な討議が欲しいが、その様な余裕はないらしい。

 日本基督教団と日本国憲法の関係は1962年ごろ憲法改正の動きが露骨になった時代に表面化している。「憲法を守るキリスト者の会」(1962年4月5日)が結成され、「キリスト者護憲請願百万人運動」がなされた。第12回教団総会には3つの議案と1つの建議が可決され、それが結実して「憲法擁護に関する声明」(1962年12月5日)となった(『日本基督教団史資料集 第4巻』p.237f)。

「日本国憲法は全国民の憲法である。しかるに、今や一部の国民の利益を背景にした根強い改憲運動が現れている……」という勇ましい書き出しで始まる声明は、出されたものの、その後の教団の宣教活動に内容的に影響を及ぼしてはいない。

 当時の「基督教新報」(3422号1964年8月1日)は「論説」を掲げ、この事態にいささかの批判をしている。「かの声明は、第一に、理念としての憲法擁護の域を出ていない。……」と。「論説」は声明が、憲法が戦争を媒介として人類の「負」の遺産の継承であることに言及はしているものの、実践的に「手を汚し」つつ憲法の内容実現への自覚に乏しいと、声明の無力さを批判している。

 第二に、この声明を支えている神学は「キリストの王権」の思想であるが、この神学自身を教団が生きてきたわけではなく「持ち込まれた性格」である事を指摘し、「われわれは、擁護を人権の感覚の媒介にして『空洞化』への抵抗としてとらえ、広く平和活動、社会活動と関連させてゆくべきである」と結んでいる。筆者は岩井健作である。振り返って見れば40年余り前の文章であるが、その後「憲法」の関わる実践をどのようにして生きてきたかを思うと、慚愧に耐えない。

2.

 戦後保守勢力は日本国憲法擁護勢力の制圧に多大な努力を重ねてその成果をあげてきた。護憲政治勢力を小選挙区制の実施で押さえこみ、マスメディアを資本の力で封じ込め、「総評」に結束した力としての労働組合を「国鉄」民営化を契機として解体へと追い込み、教育統制を厳格に行ない日本国憲法の精神の再生産の息の根を止め、日本国憲法体制を日米安全保障条約という条約体制で切り崩してきた。別名解釈改憲という。そうして、現在、政治日程に、自由民主党の「新憲法草案」が乗る事態にまで至っている。

 これに呼応するかの様に、日本基督教団は70年代以来の教団批判勢力を、教会政治的に封じ込めるため教団総会で多数派工作を行ない、日本国憲法の実質化を教団の宣教課題としない路線を定着させてきた。しかし、草の根の各個教会、あるいは教会を構成しているメンバー、護憲派「キリスト者」との自覚に立つ個々人が、人権を打ち立てる立場、差別と闘う行動、具体的戦争・戦闘行為に抗して反戦平和を訴える活動、米軍基地の撤去を求める意志を、重ねつつ、日本基督教団の一角を堅持している。

3.日本国憲法の実現(改憲阻止)に関わる、私の現在の行動

「百万人署名運動」に参加。この運動は1997年9月22日に38人の呼び掛けによって「日米安保新ガイドラインと有事立法に反対する百万人署名運動」として誕生、各地に連絡会を結成して戦争法案に反対する85万筆の署名を集めた。1999年9月23日、全国集会を開催して名称を「とめよう戦争への道!百万人署名運動」(呼び掛け人の一人となる)と改め、有事立法反対の署名運動に取り組んできた。

 全国的な署名運動を中心にして反戦平和運動を発展させるために「小異を残して大同につく」という原則で運動を進めている。毎月一回発行の「通信」は 105号(2006年8月1日)になっている。今年に入って夏前より「戦争のための憲法改悪に反対。」「憲法9条を変えるな!」のスローガンのもと新たな署名運動を展開している。

 わたくしは鎌倉の「沖縄を学ぶ会」「明治学院教会」を中心にこの署名活動を進めている。135、140筆と二回の集計をした。12名の方の協力を得た。さらに進行中である。

 明治学院教会礼拝出席者の中に、地域の戸塚区上倉田の小田急団地約800戸の中で、3人の有志で「9条くらぶ」を立ち上げ、ニュース(2号[2006年3月28日]、7号 [2006年9月15日])を発行し、署名を集め、集会を地域の集会所で、地域の講師(例えば明学の名誉教授・加山久夫氏)などで行なっている運動など草の根の広がりをしている。「討議パンフレット」が私の手許から300冊出た。現在全国では約6万筆が集められる。11月までに百万を目標にしているものの、状況はなかなか困難を感じる。

 今各地でキャラバン運動が繰り拡げられ、駅頭などで街宣・署名が展開されている。地方の活動の様子がメールに入ってくるが、奮闘努力の様子が見える。メールに事務局次長・小田原紀雄氏が激励の一文を書くなどきめ細かい運動が展開されている。先週9月21日、JR川崎駅前キャラバンに2時間ほど参加、署名集めとマイクでの呼び掛けをした。署名は数名が立って230筆。なかなか厳しいものがある。

 その他『反改憲運動通信』を情報として取っている。これは具体的には「意見広告『9条実現』」の行動を行なっている。2回ほど参加した。

 鎌倉では「九条の会」が活動している(これは結成集会には1500人が集まった。多分500名位の組織であると思われる。「九条の会」は全国で5100を越える「会」が結成されている。その中心では「政党」が力を入れているが、そうではない「市民グループ」もある。例えば、「視覚障害者 九条の会」(参照「SSKO 共に歩む NO.87」呼び掛け人に牧師・青木優、飯塚光喜など)。「図書館 九条の会」代表は鎌倉市の図書館利用者、阿曾氏(岩国教会の稲生氏[山口県図書館協会会長]と連絡あり)等々。

 保守体制の世論固めに組しない人間関係が構築されている。問題は、それぞれの主体性がどこまで貫かれ、それが同時に深い意味の連帯性にまで顕在化するかである。

4.憲法の運動に「天皇制」の影響

 憲法の運動が、イデオロギー化することへの歯止めは?

『福音と世界』2006年10月号が「高橋哲也さんと語る − ヤスクニ問題をどう乗り越えることができるか?」(前編)の記事を載せている。そこで彼が一番問題にしていることは

「私は今の日本の国民の精神風土に特化して考えた時に、国家神道というものが、一度も解体されないまま今日に来ている。それで国民の精神風土を信じることができないといいますか、多くの人が今もまだその意味では国家神道の信者であるというふうに言える面があるのではないかと思っています。それが、キリスト者であれば違うと言い切れるのか。(戦時下の基督教の例をあげている)……それは……この……風土の中で、私たち一人ひとりが、信教の自由、そして思想、良心の自由の主体でどこまでありうるのかということでわかってくることだと思います。私自身は……その主体というものに、私たち一人ひとりがなっていくということでなければ、最終的に靖国問題は、克服されないだろうというふうに思っています」(『福音と世界』2006年10月号、p.40-41)。

 この発題に応答をしている小河義伸氏(恵泉バプテスト教会牧師)は、天皇制とは主体性をなくしていく機関なのではないか。天皇の責任を明確に取らせていく。こういうところから始めるとき、高橋さんのいう主体性が獲得されるのではないか、と言う。

 この指摘は大事である。「内なる天皇制」という実存的な面だけでは課題が閉塞する。「天皇に責任をとらせる」(国家神道の解体)という「外」への挑戦が主体性の確保を促す。高橋さんはそのような精神性の欠如を憂えているのではないか、と私には思える。

5.運動における「主体性」と「連帯性」の関係

 最近、フィリピの信徒への手紙を読んでいる。1章にパウロが投獄されたことは「福音の前進」だという記事(フィリピ 1:12)がある。このことは、パウロとフィリピの教会(以下「教会」)との連帯の問題を鋭く掘り下げている。教会はパウロと大変親しい関係にあった。「もののやりとり」(4:15)までする関係にある。そのような意味では、宣教の「連帯性」は十分あった。だが、投獄を「福音の前進」ととらえて、常識的「連帯性」を越える促しをしているのはなぜか。それは、パウロの主体的在り方は、「投獄」ということで、ますますはっきりしてくる実存的主体性へと深められる。そこにまで「教会」は理解が追いつかない。連帯的とは、平板な人間の繋がりではなくて、一人の人の「主体的」在り方が、他方の主体性を呼び覚ます様な関わりに深められる契機を持つ繋がりである。

6.連帯性の二重構造

 人と人の繋がりには、表層と深層との二面がある。表層は穏やかで、緩やかな交わりである。お互いがまず知り合うこと、あるいは共同の行動や生活を通して、繋がる。深層の連帯は、個人が実存的であるがゆえに、相手への「呼び掛け」「促し」としてしか響かない形で、結果として「連帯的」と言われる関わりがある。教会が運動体であるからには、教会は絶えず「表層」と「深層」の連帯性を持つ。同様に、憲法の運動体もこの二面においての成長が大事なのではないか。

「岩井健作」の宣教学インデックス(2000-2014 宣教学)