子供の自立と親の責任(1997 いずみ幼稚園)

1997.5.25 神戸教会週報 所収

(5月22日「いずみ幼稚園父母の会」のお話要約、健作園長63歳、震災から2年)

 子供を育てる親の心の原点は、なによりも愛である。

「愛は寛容であり……すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」(コリントⅠ 13:4-7)

 とは子を思う親の心に通じる。

 知人青木優氏が医学徒の中途失明をした時、彼の母は自分の目をくり出して彼に与えたいと言ったという。その彼は母の愛とその奥にある神の愛に導かれて後年牧師となった。なによりも愛というとき、そこには神の愛が予想されている。

 愛を原点とするという時、そこに求心力があってそこに帰ってくることであるが、人の子の親の愛は如何にせん、人間の自己愛へと四方へ揺れ動く。

 心理学者フリッツ・シモンの言葉を借りれば、親の愛が子供の受容に傾き過ぎれば溺愛となり、愛が薄くなれば子供への拒否になるという。

 愛は他者に対して責任的な関わりをするが、親の責任が強過ぎれば、子供を支配することになるという。また、責任を持たずただ子供の言いなりになれば、子への服従になるという。

 親の子に対する態度を、同氏は4領域に分けている。

 愛情が濃く責任を取り過ぎる親の態度は「過保護」。愛情が濃く責任を取らない親の態度は「放任」。愛情が薄く要求が強く支配の強い親は「苛酷」。愛情が薄く、子供に対して関心の薄い場合は「無視」。現実の親は、この4領域を中心に、渦巻きのように動きながらバランスを取り、親と子の関係を成長させていくのであろう。

 そのバランスの取り方を、時間軸で考えると、親子関係は、子が0歳の時は100パーセント親の責任の中にあるが、25歳の青年期の終わりでは、子の責任あるいは自由が100パーセントの関係になるだろう。子供の自立と親の責任という緊張関係は0歳から25歳まで、少しずつ親の方が退き子供の方が増加して、時の経るに従って、右肩上がりのグラフになる。その間を押し合いへし合い、やり取りしながら、親と子は共々に成長する。これは親から見れば「しつけ」の方向性であり、子供から見れば「自立」と「成長」の方向性である。

 私の好きな絵本の一つに『100万回生きたねこ』(佐野洋子作・絵、講談社 1977)がある、この本は愛について深い示唆があるが、その愛の中で親ねこが、子ねこの自立を見て、「あいつらもりっぱなのらねこになったなあ」と満足するところがよい。その間に親と子のへし合い押し合いの関係があったに違いない。

 神が導く成長を信じ親として励んで下さることを願う。

いつくしみの目(1989 石井幼稚園)