小島さんへの手紙 – 自分の「歴史認識」を語って欲しい(2000)

宛先:小島誠志(日本基督教団)総会議長、2000年11月15日、教団総会議場にて記
2000年11月16日「わじわじー」3号紙面を通しての書簡

(神戸教会牧師 健作さん67歳)

 第32回日本基督教団総会(2000年11月)のローカル新聞「わじわじー」に総会(議長:小島誠志氏)議場で依頼され走り書きで書いた文章。翌日発行の3号(2000年11月16日)紙面掲載。その後、第33回総会(2002年)は「靖国・天皇制問題情報センター」廃止を決議した。



 拝啓、

 小島さん、あなたは「議長総括」に関連する答弁の中で、何度か「歴史認識」という言葉を使われました。右傾化する日本の状況で「罪過」の認識は大事です。また教団には様々の「歴史認識」がある、という程の意味だったと思います。取り違えていたらごめんなさい。しかし、ご自分の「歴史認識」を明確にしないことを残念に思います。

 少なくとも、日本基督教団は「第二次大戦下における責任の告白」をした教会であるとの認識を持っていただきたいと思います。

 そのことへの明言をあえてあなたは避けて「『日の丸・君が代』の法制化に代表されるナショナリズムへの回帰の様相…(中略)…こうした時代に、聖書に聞きつつ、信仰的良心に従ってきびしく向き合っていく」という表現をとっています。

 あなたは、あの教団の「戦責告白」を全く否定する立場なのか、といったら、決してそうではないというかもしれません。そして、あの「戦責告白」ゆえに、教団が韓国三教会やアジア諸教会との信頼を回復したこともご存じでしょう。「戦責告白」について、私はあなたとじっくり話をしたことがないので、個人的にどのようなスタンスを持っておられるかは知りません。しかし、評価が多様である「戦責告白」には、教団では議長として触れない方がよい、との政治的判断は充分にあるでしょう。

 何故なら、教団が宣教理解において二つの潮流に分かれるに至ったその源流は「戦責告白」にあるからです。

 私は1966年、かの「教師研修会」で、有志と共に、教団が教団として戦争協力への罪責を表明することなしには教団の宣教(伝道)は命をもたないことを訴えました。その研修会の校長であった鈴木正久氏は、それを契機にあの「戦責告白」を諸手続きを経て、教団議長名で表明しました。「告白」の理解をめぐって受けいれられないという立場の人が結束してこの「告白」に反対しました。これを収拾したのが「五人委員会」(北森嘉蔵委員長)でした。しかし、これは収拾とはなりませんでした。1970年代、万博キリスト教館出展問題を契機にして「戦責告白」の観念性への批判を含めての「問題提起」がなされました。戸田伊助・後宮俊夫・辻宣道・原忠和の歴代議長は非常に困難ではありましたが、協力して「戦責告白」以来提起された問題の内実を受けとめ対話を試みてきました。「歴史認識」は、日本の戦時下、天皇制ファシズムに屈した日本の民衆、特に知識人、宗教者の深い反省を秘めたものであるべく、教団も宗教教団の一員として戦後を歩んできました。その苦しい苦しみ無くして「歴史認識」はありません。今、韓国では、考古学の発掘の捏造事件をさえ、日本人の「歴史認識」のないこと、侵略戦争加害者への歴史的自覚のないことと結びつけてマスコミ報道がなされているといいます。日本人は総体としてそれほど信用がありません。過ちを繰り返さないために、議長が「戦責告白」への支持評価の見解を明確に表現すべきではないでしょうか。小島さん、あなたも私も地方教会の牧会を続けていることにおいては変わりません。教会には日本の政治・経済・社会に対して様々な見解の人々がいます。牧師が自らの歴史認識を、あなたのいう「信仰的良心」をもって表現することには勇気がいります。「日の丸・君が代」の反対くらいはあなたも表明しているでしょう。しかし、あなたはこのたびも、堅い票に支えられて議長に選出されました。「戦責告白」からその延長上としての、宣教課題としての意思表明への言及は避けたい気持ちはあるでしょう。それは議長総括の宣教姿勢に感じられます。今、日本は現実的なアメリカの経済的・軍事的体制の中で、日米安全保障条約の強化が検討され「日米安保」のガイドラインの見直し、その実行を効力あらしめる国内法の整備も一挙に遂行されました。その一環が「日の丸・君が代」の法制化です。少なくとも議長として「戦責告白」こそは教団不可欠の歴史的出来事として認識して戴きたいと思います。

 加藤周一氏は、第二次大戦下の知識人を①積極的に戦争協力をした者(少数)。②心では戦争に反対しつつも結局は協力した(させられた)大多数の人々。③抵抗したごく少数の人、に分けて論じています。日本基督教団については①ないし②に例を挙げて述べています。鈴木正久氏は、戦争協力に関して言葉は悪いが「エロ・サービス」だと言っていました。「戦責告白」は遅きに失したが、戦後の責任を負うための、最低限の責任表明なのです。小島さん、あなたの教団への歴史認識として、さらには日本のプロテスタント最大の教派の議長として「戦責告白」を誇りをもって、意思表示をして欲しいです。恐れることはありません。

「五人委員会」の調停に自分は立つというのであれば、その表明をすればよいのです。心では戦争に反対、しかし具体的には何も行動しなかった戦中の知識人・宗教者の過ちを繰り返してはいけません。あなたは、前期最後の常議員会で「靖国・天皇制問題情報センター」を潰すつもりはないと述べました。本気でそれを実行することを望みます。

 現在の「靖国・天皇制問題情報センター」が、日本基督教団の働きとして「日の丸・君が代」に真向かって生活をかけて戦っている人たちをどんなに励ましているか、本気で目を凝らし、耳を傾けて欲しいです。私はそのことをキリスト者が市民と共に担う運動の中でひしひしと感じています。小島さん、「戦責告白」以降の問題提起と向き合って対話する教団運営だけはして欲しいです。総会議事運営を数で行うのは本来のあなたの姿ではないことを信じます。

2000年11月15日 岩井健作拝

小島誠志様


その後、第33回日本基督教団総会(2002年)は「靖国・天皇制問題情報センター」廃止を決議した。

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