教会創立118年の日に(1992 週報・イースター・創立記念日・洗礼式)

1992.4.19、神戸教会
復活日(イースター)
神戸教会創立118年記念礼拝

(神戸教会牧師15年目、牧会34年、健作さん58歳)

この日の説教、ヨハネ 20:11-18、「復活の証人」岩井健作
洗礼式・転入会式:受洗者1名、転入会者7名
午後、納骨者記念式: Ⅱテモテ 1:3-5「信仰の宿り」岩井健作


 神戸教会は、1874年(明治7年)4月19日、前田泰一ら11名の者が、神戸に伝道を開始したアメリカンボード(米国外国伝道委員会)の宣教師・D.C.グリーンから洗礼を受け、創立された。

 今回は創立118年の記念日にあたる。

 3つのことを覚えたい。

(1)懸案であった「教会史」の出版が大詰めを迎えていること

 1974年、創立100周年を迎えた際、一度「百年史」が計画されたが、中途挫折した形となった。

 1981年、役員会は「教会史研究会」を発足させ、1989年、それを「編集委員会」に改組し、10年余、資料収集と研究を積み重ねてきた。

 関係者の祈りと努力が実ってようやく『近代日本と神戸教会』(創元社 1992)として形を見るまでになった。

 経費はこの10年あまりの研究・資料・編集に約650万、出版に伴う費用に約850万、合わせて約1500万を必要とする大事業となるに至っていて、役員会は最終的決済の段階に入っている。

 編集の方法は、各個教会史としては斬新な社会史的方法によって編集されている。

 一定の史観から過去を解釈することを極力避け、「史料をして語らしめ」、その時代の日常の生活の細部に光を当てる方法である。

 出版記念行事は既に5月31日(日)に予定されている。

 完成まであと一歩の息づまるような日々を迎えている。


(2)教会創立記念の日がイースターと重なること

 「キリスト教の信仰はひたすらイエスの死を凝視し、その意味を霊の働きにより、祈りを通して理解することにある」と言われる。

 実存的にも、日常的にも、思想的にも、「死」はキリスト教信仰の主要テーマであるが、そこからの弛みである「復活」は中心テーマである。

 教会の「霊的」創立はここを離れてはならないであろうから、イースターと重なった創立記念日は、いっそう意義深い。


(3)この日が日曜日と重なっていること

 たぶん暦の巡り合わせで言えば、7年に1回は、創立記念日が日曜日になる。

 10年ひと昔という諺ではないが、7年経つとそれぞれ齢を重ねる。

 「死と生の二重性」を心に刻む、”復活日(イースター)”の繰り返しが、日曜日の礼拝であるが、このような節目の日曜日を心して覚えたい。

 ヨハネ福音書20章11節〜18節の「復活者の顕現」のテキストで、大事な要素は「振り向く」「振り返って」「触ってはいけない」など、イエスとマグダラのマリアの間の「否定と転換」である。

 復活のイエスとの最初の出会いが、男性ではなく女性であったことも含めて、示唆に富む。

(1992年4月19日 週報 岩井健作)


 ”しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使(みつかい)が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に出会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。”(ヨハネ 20:11-18、口語訳)


1992年 週報

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