2000.10.13 (神戸教会牧師23年目、牧会43年目、健作さん67歳)
神戸新聞の10月12日のシティガイドに"「説教とは何か」について岩井健作さんが講演。受講料500円"などと出して戴いて、全く一般の人が来たらどんなにしようかとちょっとびっくりしました。来る訳ないですけどね。“説教”はもともと仏教用語の“説経”つまり、経文の意味を説き聞かせることから来ています。説法、唱導、談義などと言われ、それが宗教の趣旨を説き聞かせる事と広く用いられています。永六輔さんの本なんか見ると、お寺さんもよい説教会をやっている様子が伺われます。今日はいわゆるキリスト教会の説教についてですが、私は説教を語る方の立場に今はいるものですから、そちら側でお話しします。逆の立場、つまり聞く側からの話というのはまた別な観点があると存じます。私の先輩で、現役の牧師を引退して、老人ホームに入って、近くの教会で若い牧師の説教を聞くことになった訳ですが、勿論どんな説教であれ、聞き上手ということはあります。その老牧師は、きちんと聖書釈義をして洗練された説教をしてきた方でしたから、説教を聞くということの苦痛を今ごろどうして味わわねばならないのかと、こぼしておられました。名医が自分の手術を弟子にさせるようなもので、歳を取れば止むを得ない事かと思いました。
さて、私は、神学校を卒業して2年間は伝道師をしていて教会の日曜日毎の“説教”を毎日曜日していた訳ではありませんが、1960年に主任教師になってからは、ほぼ日曜日ごと“説教”をしてきました。1978年、22年前、神戸教会に来てからは、月4回の内、伝道師が一回担当していますし、外来の講師が入る時がありますから、全部私がしている訳ではないのですが、相当の回数になります。今日は、その失敗談を語らせて戴くことになります。今もって、説教のたび毎に四苦八苦というのが現状です。
四苦八苦と言うのには二つの面がありまして、一つは、“説教“という事柄が本質的に持っていることでして、このことはここでこれまで「宣教」という枠で考えてきた事柄とも関係があります。「宣教」を主として言葉の分野で扱うのが“説教”ですが、これは「彼岸の真理」「人間を越えた事柄」「宗教性に関わること」、教義学専門の神学的概念で言えば「啓示、あるいは神の言葉」にか関わることを扱うのですから、“説教”は、科学の真理を語るように、客観的に語ると言う訳にはいきません。説教者が語っているのですが、「聴衆」と「真理(神)」との出会いが起こる、「出来事性」の中に身を置くと申しましょうか、つまり語る主体は「説教者」であって、同時に「説教者」ではなくて「真理(神)」そのものであるという逆説性を持っています。説教のたび毎にその事を経験しないと“説教”が成り立たないということから来る、「受苦」とも言うようなものです。勿論、「受苦」とは、そこに一つの共同性の証しがあるという、喜びに繋がるという別な逆説はあります。この間、ある中堅の牧師に、“説教”で大事な事は何だと思う、と聞きましたら、信頼と祈りかな-、という答えが帰ってきて、なかなかやるじゃあない、と思いました。
さて、もう一つの四苦八苦は、“説教”という事柄の宿している性質から来るものです。“説教”がなされる場所(空間的場所ではなくて、“聴衆”そのものが持つ、あるいは目指す共同性)は「教会」という共同体ですが、それが現実にどのような共同性の質を持っているのか、またどのような共同性の質に向かうのか、という事と関係があります。共同性を限り無く閉鎖性でとらえると、民族共同体、国家共同体、宗教共同体、などが考えられます。連帯の絆が、法、言語、地域、人種、理念(信条)などによるものですが、そこには、他を区別するだけではなく、他を排除する閉鎖性への危険が含まれています。「教会」はそこへと傾斜する危険を持っています。もう一方で、共同性を限り無く、その構成である「個」に近づけていくと、連帯の絆は弱くなり孤立に至ります。孤立に傾斜するのではなく、個と共同性が逆説的に共に成り立つ緊張関係を生み出していく位置に“説教”を位置付けることは、「聴衆」と「説教者」の関係の基本ともなります。
難しいのは、“説教”は言葉による「事柄の伝達」という性質を多く持っているという事です。勿論、演劇と同じく、スト-リ-、セリフ、演技、声、舞台装置、などのように、言葉を包み支える部門はありますが、それを含めて「言葉」の勝負の世界です。それはまた、聴衆の社会層や文化的背景とも関わりがあります。その事に対する見定めは四苦八苦の一つになります。聴衆の宿す共同性に向かって、どの方向で言葉を生み出すのか、「個と共同の逆説性」なんて難しい事を言わなくても、「教会は他者のために存在する時、はじめて教会である」(ボンヘッファ-)と言う言葉のなかにその意味は含まれています。
「教会」の共同性が、他者との関わりという、相互主体的な関わりを、主体(個)の在り方として「宿して」しているということです。そのような意味での「教会」が、“説教”の場という意味です。四十年も“説教”を続けていると、評価の視点は別にして、善きにつけ悪しきにつけそれなりの軌跡を残してきてしてしまっています。その軌跡を振り返りながら、なにがしかの参考になるならとの思いでこのテーマを取り上げました。平たく言って失敗談を語ることになるだろう、と思います。
さて、神戸教会へ来た当時、繰り返し聞いた「説教」への反応は二つに絞られます。一つは、「説教がよく聞こえない」。もう一つは「説教が難しい、分かりにくい」ということです。“説教”を基本的に、「伝達」「語ること」と「応答」「聞くこと」(つまりは、コミュニケーション)の問題と考えるなら、「聞こえない」「難しくて分からない」ということは、問題以前の「問題」だということです。二十年余りこの事に取り組んできて、いまだに苦労の連続です。
なぜ「聞こえないのか」「難しいか」については、(1)技術的問題・実際的問題と(2)思想(神学)的課題・本質的課題があります。前者(1)について、「聞こえない」会堂の音響効果の問題、音響設備の問題(難聴者、高齢者対策を含む)、説教者の発声の問題、文字の意味と音声で受け取った時の意味の問題(説教が基本的に「聞くもの」であるとすれば、「聞く」文化、あるいは「語る」文化の中での位置づけの問題)などがあります。幸いな事に、日本の教会は聴衆が平均して三十名台ですから、フェイス・トゥ-・フェイスの語りが出来るので、聞いてくれているかいないのかは、語り手に伝わってきますから、聴衆が語り手を育ててくれる事にもなります。
「難しい」については、あるエピソ-ドを思い出します。西中国教区の、ある教会を当時教区の議長をしていた高倉徹牧師が問安で訪ねた時、教会の信徒の人から、そこの若い牧師の「説教」が難しいと言う「苦情」のような声が聞こえたといいます。高倉牧師は「難しい事の中から、聞き出さなければ駄目だ」と言って、教会を激励したという話があります。
恐らく、その若い牧師は、神学校で説教学を学び、その常道を実践へと移していたのだと思います(説教学に関しては、おびただしい文献があります。『世界説教・説教学事典』『説教学1,2 <ボ-レン>』『聖書解釈と説教<関田寛雄>』『説教論<加藤常昭>』『神の言葉の神学の説教学<バルト>』『説教者のための聖書講解<雑誌>』『アレテイア<雑誌>』など、以上<日本基督教団出版局>には、学習文献、研究文献が沢山挙げられています)。
こんな本を読んで“説教”の準備をしたら難しくなるのは決まっています。しかし、若い牧師たちには高倉牧師の言葉は、「本質的」な事を語っているような気がして、励みになったのを覚えています。だが“説教”が難しくてよい訳はありません。どうしたら、分かりやすく、やさしい“説教”が出来るのか。もう、四十年余り悩んできた課題です。
神学校を出て十年位の頃だったか、聖書釈義には割と時間をかけ、論理的にも構成を考えて説教に努力していた頃でした。「難しい、難しい、と言われるのだが」と先輩の牧師に愚痴を漏らしたことがありました。彼の教会は下町の労働者が集まっていました。だからやさしいお話をしないと、聞いてくれません。彼は神学や哲学や思想には造詣の深い人で、そこのところを日頃どんな語り方をしているかと聞きたいと思ってました。「うん、一回は説教の中で笑わせることにしている」との返事でした。彼は、ダジャレの名人で、それが出来る人ですが、私は全くそういう器用な事は出来ないたちです。彼も、困った顔をして「岩井君、説教の中で、皆がよく知っている諺を使うようにしてみたら」とアドバイスをしてくれました。これはちょっと励ましになりました。「汝の隣を愛せよ」を、例えば「向こう三軒両隣」などと言い換えてみると、そこに含まれている、ある真理は、内在化している経験によって伝わります。『ことわざ事典』など買って努力もしました。これは、例話をどの様に用いるかの問題にも発展します。「経験的知恵」はそれ自身が生まれ育った歴史的環境がありますから、批判的な吟味の上で用いられなければならないという制約はあります。また、聴衆の受け取り方を計算に入れておかないととんだ失敗をします。聴衆の生活経験がまず重んじられる必要があります。何よりも、説教者は、聴衆が生きている社会・歴史・地域・生活の理解者、経験者へと自らの居場所を確保する必要がありますし、そこの経験を言葉化していく修練も求められると思います。一応これらは技術的、実際的問題の範疇に入る事柄だと思っています。「聞こえない」「難しい」の思想(神学)的課題、本質的課題は次回にします。