1991年4月21日、神戸教会週報、復活節第4主日
(神戸教会牧師14年、牧会33年、健作さん57歳)
”週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時…”(使徒行伝 20:7、口語訳)
「日曜日:”Sunday“」という名称は、ギリシアの「太陽の日」がローマ化された後、ヨーロッパ全体に行き渡った。名称自体にキリスト教的な背景はない。
ユダヤ教は安息日である土曜日に主要な礼拝の集まりをもった。
安息日(シャバトン:ヘブライ語、サバース:英語)がどのようにして始まったのか、決定的な学説はない。
イスラエル初期の”月の祭り”から始まった、古代人のタブーの”7”は仕事を休むことと関係する、等々。
この語”安息日”の語幹は”やめる”、”中止する”という意味を持っている。
バビロン捕囚期以降は、割礼と並んで安息日律法は一番大切なものとなった。
捕囚期後の祭司資料は、安息日を神の天地創造の業の”7日目の休み”に意義づけた。
申命記5章12〜15節では、それとは別に、イスラエルがエジプトで奴隷の境遇にあったことを記憶し続けることと関連させている。
何事も、初めの精神が形式の固定化を招く場合がある。
安息日律法はその一つであろうか。
ユダヤ教はこの日に一切の労働を禁止した。
買い物、調理、治療、戦闘…等々も。
イエスは「安息日は人のためにあるものであって、人が安息日のためにあるのではない」(マルコ福音書 2:27)と言って、厳格な律法を廃棄した。
初期キリスト教は、ユダヤ教の安息日と並行して「週の初めの日」を独自の集会の日として守った。
この日が、イエス復活の記念日であったので、この日に、イエスの死と復活を記念して「パンさき」を行った。
安息日放棄が意図的であったわけではない。
この日を「主の日」(黙示録 1:10)と呼んで、この日こそ新しい契約の日、新しい創造の日、キリスト想起が終末論的に深められる日、聖霊による約束が成就する日(使徒行伝 1:4-)として説かれてきた。
ローマ社会でキリスト教が優位になると、ユダヤ教の安息日のように、この日が聖別され、4世紀には”休日”となり、中世期末には厳格な”就業禁止日”となった。
プロテスタントではピューリタン革命により厳格な日曜厳守規定が定められ、その影響は19世紀の敬虔主義に受け継がれ、日本にも流入した。
20世紀に入り、世俗化・産業社会化が進み、日曜日の一斉休日は困難となってきている。
休日のアクセントが不明確となると同時に、神(超越者、絶対者、創造者)の前で身を整える慣習は、キリスト者にすら薄れている。
死と生(キリストの十字架と復活)の神に出会いつつ、一週間が始まるという、生活のリズムをもって証をすることに向かって励みたい。
(1991年4月21日 神戸教会週報 岩井健作)