1991年4月28日、神戸教会週報、復活節第5主日、聖餐式
(4月29日-30日、教団四国教区総会の講演者として徳島出張)
(神戸教会牧師14年、牧会33年、健作さん57歳)
聖餐式の意義を考える時、生前のイエスの共なる食事に重きをおくか、それともイエスの死の追憶としての祭儀的な会食に重きをおくかは長い教会の歴史の中で幾たびも論じられてきている。
前者は、マルコ福音書にあるように、イエスは多くの取税人や罪人たちと共に食事をしたことに基づいている。
”パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。”(マルコによる福音書 2:16-17、口語訳)
誰と食事を共にするのかは、当時のユダヤ社会にあっては最重要事であった。
パリサイ派の人たちが注意した事は、その食卓に律法に違反し穢(けが)れた者が同席していないか、食卓の上の食物が律法に従って浄(きよ)められているかどうか、であった。
パリサイ派の律法学者からすれば、イエスは穢れた者たちと食卓を共にしているわけであるから、イエス自身が穢れた者に落ちてしまっているのである。
イエスの振る舞いは、こうしたパリサイ派の排他性と偏狭さの対極にあった。
福音書に何回も収録されている「パンの奇蹟」の物語は、イエスが大勢の「飼う者のない羊のような」群衆と共に食事をする。(マルコ 6:32、8:1以下、及びマタイ・ルカ・ヨハネの関連箇所参照)
イエスがきたのは「義人を招くためではなく、罪人を招くため」であった。
このように「招き」を中心に考えると、イエスを裏切ったユダも、背信のペテロも過越の食事から排除されていないし、パウロが第1コリント11章17節以下で言っている論点も、食事の際、各自が勝手に教会での晩餐をして、飢えている人と酔っている人との無秩序と愛の欠如を戒める点にある。
「ふさわしくないままで」(第1コリント 11:27)は、キリスト教的な一般罪性ではなく、弱者排除の愛なき我欲への戒めである。
パウロは、ガラテヤ 2:11-14で、ケパ(ペテロ)やバルナバの会食の在り方を批判した。
これも、共に食卓を囲むことが、党派性や権威主義のため、排除の方向に歪められたことの故である。
この視点は、今日もう一度深く考えられねばならない。
他方、聖餐は「招き」に対して「固め」の要素を持っている。
まず、イエスの最後の晩餐の繰り返しとして行われた「パンさき」である。
「パンと杯(さかずき)」が「記念(アナムネーシス)」であるとは、「主の死の宣教」の現在的想起であった。
それは同時に「わたしたちのための、贖(あがな)い」(第1コリント11:24)であり、古い契約に対し、イエスの血による新しい契約という「霊の食物と霊の飲物」(第1コリント 10:1以下)であり、古き私に死に、新しい私に生きる、一回的なバプテスマの恵みの繰り返しであった。(ローマ 6:3、ガラテヤ 3:27-28)
また「…主の来られる時まで…」の終末的「神の国」の保証であった。
聖餐の意義の多様さを、今日の信仰の文脈で深める大切さを思わしめられる。
(1991年4月28日 神戸教会週報 岩井健作)