1991年4月14日、神戸教会週報、復活節第3主日
(4月19日 神戸教会創立117年)
(神戸教会牧師14年、牧会33年、健作さん57歳)
”そこで、彼の勧めの言葉を受け入れた者たちは、バプテスマを受けた……そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。”(使徒行伝 2:41-42、口語訳)
この聖書の言葉は、現在私たちの教会の守っている日曜毎の礼拝に深い関係をもっている。
私たちの教会は、この4月19日に第117回創立記念日を迎える。
その創立はアメリカの会衆派教会を中心とするアメリカン・ボード(米国海外伝道委員会)派遣の宣教師 D.C.グリーンに負う。
そして会衆派教会の源流を辿れば、長老派、バプテスト派、クエーカーなどと共に、英国のピューリタン(清教徒)に辿り着く。
ピューリタンとは何か。
これは英国国教会(アングリカニズム)の中に残るカトリック的なものを「ピューリファイ(清める)」しようとした16世紀の約一世紀間にわたる宗教改革運動である。
その中心は『祈祷書』によらない礼拝運動にあり、英国教会より迫害されてアメリカ大陸に渡った者たちが、カルヴァンの宗教改革の影響を受けて、改革を徹底化していった。
そこから生まれたのが、ウェストミンスター信仰告白・教理問答・礼拝指針であるが、これはカトリック的な伝統によらず、「聖書」を改革の基準としていることが大きな特徴である。
日本基督教団など日本のプロテスタント教会は、この伝統を保った礼拝形式を引き継いでいる。
ピューリタンが聖書的礼拝の典拠としたのが、使徒行伝2章41節〜42節であると言われている。
ピューリタンは、礼拝を6つの要素で考えた。
祈り、讃美、聖書の朗読と説教、バプテスマと聖餐の聖礼典、教え(カテキズム)、訓練である。
この中で、説教・聖礼典・祈りの3つは、キリストの救済を人間にもたらすものとして考えた。
さらに説教については「神の御霊が、御言葉の朗読、特に説教を、罪人に罪を自覚させ、回心させ、また信仰によって救いに至るまで、きよめと慰めのうちに彼らを成長させるための有効な手段とされるのである」と言われる。
(「ウェストミンスター小教理問答」第89問の問「御言葉はどのようにして救いに有効とされるか」の答)
説教は、宗教講話ではなく、聖書のみを講解する方法がとられた。
特に聖句を生の現実経験の中に適切に当てはめるような説き方は、ピューリタンの遺産である。
会堂建築もそれを表すものが残っていった。
神戸教会の歴史にもピューリタン的なものが実に多い。
よいものを大切にしてゆきたい。
(1991年4月14日 神戸教会週報 岩井健作)