『よみがえれ、平和よ! ―差別と戦争と貧困の中から』
(ジム・ウォリス著、小中陽太郎監訳、新教出版社 1993)
「本のひろば」42号 1993年1月号掲載(キリスト教文書センター)
(神戸教会牧師、健作さん60歳)
「この本は、アメリカの福音派キリスト教の影響のもとに成長し、信仰の危機を体験し、1960年代の公民権運動や反戦運動を経て、最後にイエス・キリストへ立ちかえって、そのラディカルな「神の国」の福音に目覚めさせられたぼく自身の個人的な巡礼の物語である」と著者自身が序にしている言葉に、多少のとまどいを覚えながら読みはじめた私は、読了してさわやかな感動を覚えている。率直にいって、キリスト教国に比べて小規模とはいえ既成の制度的教会の場にあり、現代社会の激しい貧困や抑圧とは程々の距離にあって著者がラディカルに批判するアメリカ中産階級的価値観と通ずる教会的現実に、ともすれば足をさらわれそうになる筆者自身にとっても、著者の20年の信仰実践記録としての本書は、鋭い問題提起として響く。著者はこの20年、ワシントンDCで貧しく抑圧された人々と共に泣き、戦い、コミューンを形づくり、同時に雑誌『寄留者"ソージャナーズ"(Sojourners)』を発行しつづけ、こう語る。「ぼくたちの生に絶え間なく押し寄せる難題に圧倒されるという事実こそが、神の愛がぼくたちのうちに、そしてぼくたちの間にあるしるしである」(p.240)と。一方に連邦政府を見据え徹底して弱者の側に立ち、人種差別と戦う様々な人々を結びつけ、ますます戦うこと激しいウォリスならではの言葉である。
本書は10の章で書き進められている。
1.「アメリカン・ドリームの息子」。優等の教会少年から疑問へと精神の家出が語られる。
2.「第一の矛盾:人種差別」(1967年夏、デトロイトの黒人の反差別闘争を黒人の友人の側から体験し暗黒のアメリカと教会からの疎外を体験する。
3.「第二の矛盾:戦争」。ミシガン州立大学生時代、ベトナム反戦運動リーダーとして警察、政府体制側の弾圧を身をもって体験する。
4.「ふたたびイエスのもとへ」。「福音」の全体像を発見。教会のアメリカ文化的な捕囚からの解放をかざして福音派の神学校を中心にかつてない運動を展開する。
5.「雑誌とコミュニティ」。福音による社会参加の運動の展開を目指し雑誌『ポスト・アメリカン』を発行。神学的オーソドックスで政治的ラディカルな立場を貫き誌名を『寄留者(ソージャナーズ)』と変更。
6.「二都物語」。官庁街とスラム、のワシントンで、その一方を選び住宅問題からはじめて、コミュニティ活動を展開。
7.「国家安全保障の祭壇で」。レーガンの核・傀儡政権政策に反対、軍事費納税不払運動を支援、ロシア人との共存を「神の子」の視点から主張する。
8.「ぼくらの内なる偶像崇拝」。運動が「自己証明」とならないで、抗議している対象の罪悪と自分の結びつきを認め真の悔い改めと謙遜の霊にしるしづけられていることの大切さを説く。
9.「ぼくの二人の先生」。ドロシー・デイと聖フランチェスコへの傾倒。この章は著者の深い内面にふれさせてくれる。
10.「リヴァイバル」。著者の福音理解が語られる。イエスの「貧しさ」が中心に据えられる。「かつて男も女も神を求めて砂漠に行った。砂漠には、神の愛と恵みが豊かにあふれている」。「主流にいるより、周縁に近づくほど、視野が開けるのだ」。そこにはアメリカ市民宗教となって居心地の良い福音派キリスト教への批判がある。リベラルへの批判は言外か。そして終章「この幻は、なお、定めの時を待ち」は『寄留者(ソージャナーズ)』20年の回顧と展望。
感想を一言。
(1)貧しく抑圧された人々の現実と共にあることは福音的であることと相即不離(p.225)で、どのようなキリスト教理解の伝統に立つかは、対話の可能性を含めてかなり相対的なことに過ぎないことを示唆される。
(2)日本の福音派はこの本をどのように受け取っているのだろうか。
(3)『寄留者』が組織であるよりも草の根に根づいた運動であること、女性が中心的な役割をもっているところに教えられる。
(4)翻訳は小中陽太郎氏の監訳であるが、「この日本で、平和運動に身をおいた者、福音派、バルトに従う者、そして家庭の主婦たちを結び合わせて、一つ仕事をさせてくれたことを主に感謝したい」との小中氏の言葉が温かい。
(5)小中氏もあとがきでなつかしくふれているように、筆者もベトナム反戦で「ウイ・シャル・オーバーカム」を反戦GIと共に歌った青春をこの本はよみがえらせてくれた。
(6)ラディカルなキリスト者のよくある自己義認、イデオロギー的選り好みへの批判は充分聞かねばならない。
(7)右傾化する日本に、そこの教会へ一石を投じる本である。
(神戸教会牧師 岩井健作)

