沖縄と私たち − 日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおし(前半)(1987)

(前半)1987年12月27日 「兵庫教区報」 No.65 所収

(神戸教会牧師10年目、健作さん54歳)

日々の信仰と沖縄のこと

 塩がきゅっときいた信州の漬物はうまい。だがこの頃その塩がうすくなった。高血圧で倒れる人が他府県に比べて多く、医療関係者がうす味を奨励した結果だという。日々の塩味が命取りになる病気と関係していることがわかれば、何故そうなるのかを実践的に生活的に学び取らねばならないだろう。例が適切かどうかは別として、私たち日本のキリスト者の信仰に関してこれを比喩とするなら、沖縄のことは、生命に関わることとして日々の信仰と関わっていると云えよう。信仰をダメにする諸々のこの世の力のうちでも、国家管理や天皇制のうちに働く力は、相当に手強い相手ではなかろうか。その力が強烈に、集中的持続的に働き続けている場の一つが沖縄である。とすれば、どのようにその力が働き、また沖縄の諸教会・諸キリスト者がどのようにその力と戦っているかを知り、学び、繋がっていくことは、われわれ本土のキリスト者の日々の信仰に関わることであり、あたかも高血圧と塩分のような関係なのである。

沖縄と「本土」との関係史

 さて、教区内の信徒・教職の多くの方々に、「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおし」という課題につき、少しでも分かっていただきたいという気持ち切なるものを持つ。これは私が「分かっている」などという気持ちを持っているものでは毛頭ない。私自身、沖縄(教会を含めて)の人たちや、この問題を担い続けてきた人たちから、問われっぱなし、教えられっぱなしというのが実態なので、その実情を分かっていただきたい気持ちが切なのである。この課題につき私はかつて次の一文を書いた。

「『合同のとらえなおし』とは、1969年に行われた両教団の主体性に基づいた教会的な『合同』であったかといえば、不充分な問題点を多く残してしまっているので、それに気がつき始めた1978年の時点から、それを深く反省して、問題点を整理しつつ、現在の教団の宣教の働きに反省点を活かし、『合同』を実質的なものにしていこうとする教団(教会)の営みである」(『教団社会委員会通信』第4号)

 他の人に手短かに説明せねばならず、自分もよく了解しておかねばならないので一応このようにまとめてみた。ところが最近「合同とらえなおし」について年表を作成してみて、はたと気がついたのは、1969年の両教団の合同から年表を作ってみても、意味をなさないのである。1969年の「合同」に至るまでに、それぞれ両教団はどうであったのか、さらに、何故「日本基督教団」なのか、何故「沖縄キリスト教団」なのか、を考えていくうちに、年表は両教団それぞれの成立の時点まで延ばさざるを得なかった。さらには、もともと琉球王国として独立国であった沖縄と今「本土」と云われる日本との関係史を遡らざるを得ないことになった。今仮に両教団関係の年表として「日本基督教団」の成立1941年から年表を作るとしても、その背後には沖縄と「本土」との関係史を念頭に置き、その「本土」側に身をおいている人間として考えていかねばならないという点である。沖縄と「本土」との関係史の中で、顕著な出来事を思い浮かべてみると、島津藩の琉球侵攻、明治政府による琉球処分、沖縄戦、サンフランシスコ条約、72年沖縄返還・軍用地強制使用、天皇訪沖等々のことがあり、沖縄側からは抜き差しならない「本土」への組み込み支配、と把握せざるを得ない事件である。このような関係史の本土側の当事者の一端を担ったものとして「日本基督教団」は成立した。

(岩井健作)

(後半)に続きます

沖縄交流の旅(その背景)、沖縄で出会った人々



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