『兵庫県大百科事典』所収、神戸新聞出版センター(1983年10月1日発行)
(神戸教会牧師5年、健作さん50歳)
海老名弾正(えびなだんじょう)
安政3年(1856)〜昭和12年(1937)。明治中期から大正期に、進歩的・自由主義キリスト教を掲げ、思想界に指導的役割を果たした組合教会牧師、晩年同志社総長。日本組合神戸教会(日本基督教団神戸教会)に請われて明治26年(1893)38歳で就任。約4年間在任したが、日本的基督教を提唱して論議を呼んだ後、東京に移った。<万一の場合は米びつを引き受くる>と快く送り出した神戸教会の好意を海老名は終生忘れることがなかった。主著『基督教本義』。
(岩井健作)

九鬼隆義(くきたかよし)
天保8年(1837)〜明治24年(1891)。三田藩最後(第23代)の藩主。藩には進取啓蒙的文化地盤があり、隆義も藩出身蘭学者 川本幸民の影響を受け、福沢諭吉と交流があった。藩政に西洋文明に通じる白州退蔵らを登用、版籍奉還後も施政の第一線で活躍させた。隆義は早くより神戸に伝道活動を始めた宣教師団と親交をもち、まだ神・仏式外の葬式が禁令であった明治6年(1873)に、5歳で病没した長女 肇(ちょう)をJ.D.デイヴィスの司式によりキリスト教式で行った。同年白州と藩士小寺泰次郎、喜多九郎兵衛を帯同、居を神戸花隈に移した。彼の援助で J.E.ダッドレー、E.タルカットが隆義夫人や娘を含む24人の女性のための学校を開き、英語などを教えた。これが神戸女学院の誕生である。明治8年隆義の支援で三田に教会が誕生(日本基督教団摂津三田教会)、沢茂吉を含む16人が受洗した。隆義も同20年4月24日、摂津第一教会(日本基督教団神戸教会)で受洗し、晩年を信徒として送った。→三田藩九鬼氏→神戸女学院大学
(岩井健作)
執筆者座談会(笠原芳光、小林信雄、岩井健作)