神の大胆さ(2013 礼拝説教・平和聖日)

2013.8.4、明治学院教会(317)平和聖日、聖霊降臨節 ⑫

(単立明治学院教会牧師8年目、健作さん80歳)

▶️ 牧会祈祷(2013.8 平和聖日)

サムエル記上 2:18-26、マタイ 5:9

1.旧約聖書は「亡国」を経験した民族が残したものである。

 北イスラエル王国はアッシリア帝国によって(BC722年)、続いて南王国ユダはバビロニア帝国によって滅ぼされた(BC596年)。

 なぜ、滅ぼされたのか。

 歴史家、特に「申命記的歴史家」(申命記を含め、ヨシュア記から列王記までの歴史書”ヘブル語聖書では前の預言者と呼ばれる”をまとめた編集者)は、「滅び」は神の定めたものであり、それには服する以外に道はない、という厳しい歴史観を示した。

 少なくとも滅亡の歴史を民族は忘れることはなかった。

 滅亡をもって、神が歴史の意味を知らせるとは、なんと大胆なことであろう。

2.日本の国民性に希薄なものは歴史意識であることを、我々日本人は本当に噛み締める必要がある。

 アメリカの歴史家ジョン•ダワーはかつて『敗北を抱きしめて』(岩波書店 2001)という名著で、日本人は太平洋戦争の敗北の意味を本当に考えたであろうかと述べた。

 精神性を含めて「天皇の統治」がなぜ現在も続くのかと語っている。

 スポーツの会場ではルール違反であるが、日本との試合の場で「歴史を忘れる民族に未来はない」とソウル市内のサッカースタジアムで横断幕が掲げられた(東京新聞 2013.7.29)。

 虐げられた側は歴史を忘れない。

 アジアへの侵略戦争(太平洋戦争)でのアジアへの加害者性を忘れることがあってはならない。

3.今日の聖書テキスト「サムエル記上」は王国の樹立史。

 サムエル誕生、少年時代、シロの神殿の出来事、ペリシテ人との戦いの様子などの物語。

 シロの聖所はエフライム、マナセ、ベニヤミンの部族が同盟を結びペリシテに対抗する拠点であった。そのシロの祭司といえば大変な地位であった。

 エリはそこに40年間、忠実にその任務を果たした立派な指導者。しかし、エリにも泣き所があった。子供のホフニとピネハスはやはり同じ祭司の地位にあったが、親の地位を利用して相当な悪事を働いた(2:12-17)とある。もちろんエリの耳には入っていた。

「人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。だが、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれよう。」(サムエル上 2:25、新共同訳)

 とエリは息子たちを諫めた。だが、彼らは聞かなかった。彼は息子たちの教育に失敗したという傷を負っていた。息子たちはペリシテとの戦いで戦死した。歴史家は神の裁きと見ている。

4.しかし、エリという教育の失敗者のもとに、将来のイスラエルの歴史の基礎を担ったサムエルの養育、神殿での教育が託された。

 一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人にも喜ばれる者となった。(サムエル上 2:26)

 「一方」とは、教育の失敗者としての現実と並行してということである。エリにサムエルの教育が委ねられているとは「なんという神の大胆さか」と思う。

5.我々には一人一人、神の業が託されている。

 しかし、それはエリのような意味でではないだろうか。

 己を誇ってはならない。

 神の大胆さにこそ信頼を置いて生きたい。

「平和憲法」がこの鈍い民に託されている意味を噛み締めたい。

 今日は平和聖日。

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