1984年12月30日、降誕節第1主日
(説教要旨1985年1月13日の週報に掲載)
(牧会26年、神戸教会牧師7年、健作さん51歳)
コリント人への第二の手紙 4:1-6、説教題「僕(しもべ)」岩井健作
”あなたがたの僕にすぎない。”(コリント人への第二の手紙 4:5、口語訳)
パウロは4章1節で「わたしたちは、憐れみを受けてこの務めに就いている」と強い調子で語ります。
”このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから”(コリント人への第二の手紙 4:1a、口語訳)
このことは、当時の状況から考えると、なかなか過激なことです。
ユダヤ教の伝統に染まった思考様式は初代教会にも無意識のうちに影響を与えていたに違いありません。
それ相応の難しい試験があって、ラビ(教師)の務めがあったわけですから、ユダヤ教の伝統的考え方は初代教会の「使徒職」を支える意識の根にもありました。
しかし、それを破って、ただ「神のあわれみ」を根拠として、パウロは「使徒職」の務めを考えました。
パウロの考え方は、当時のものの考え方から見れば、極めて独創的です。
けれども私たちの周囲では新しい独創的なことを主張しながら、その主張の仕方、またその内容の伝達の仕方、またその内容の伝達の仕方・教え方が、結局は古いパターンと同じだということがあります。
例えば”「民主的な事柄」を「権威的」に教える”といった自己矛盾に案外気づかないものです。
パウロの生き方はそこが違います。
「あわれみ」による務めを、生きた関係にまで徹底させます。
「あわれみ」が本当に「あわれみ」ならば、自分の力で努力する関係がうまくいかないからといって、決して落胆しません。
この一節の「落胆」という言葉は、”疲れる、気落ちする”という意味です。
”このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから、落胆せずに、恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。”(コリント人への第二の手紙 4:1-2、口語訳)
もし、パウロがユダヤ教の教師や制度上の権威としてだけ使徒職を位置付ける初代教会指導者のごとくであったら、彼の「福音」を説く使命も、やがては疲れをみせたでしょう。
しかし、彼は思考の根底が「神のあわれみ」によって変革されていくことを信じつつ生きます。
以上のことがよく示されているのが「わたしたち自身は……あなたがたの僕(しもべ)にすぎない」と言われている点です。
”しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕(しもべ)にすぎない。”(コリント人への第二の手紙 4:5、口語訳)
パウロは他の箇所で「すべての人の奴隷(”僕”と同じ語)」だと言います。
”わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷となった。”(コリント人への第一の手紙 9:19、口語訳)
しかし「すべて」という言い方には、一般論的な響きがあります。
そこを「あなたがたの僕(しもべ)」と言う時、そこには彼の決断があります。
この決断は、自分流のやり方の発想・指導の仕方を転換させることです。
もっと言えば、自分本位・すなわち自分そのものを《捨てる》ことです。
私たちも自分の捨て場というものは闇になりがちです。
その心の闇が照らされる必要があります。
「闇の中から光が照りいでよ」と仰せになった神は……私たちの心を照らして下さった(4:6)ことを信じるが故に、彼は「あなたがたの僕(しもべ)」だと言い切ることが出来たのです。
”「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。”(コリント人への第二の手紙 4:6、口語訳)
コリントの教会は、このような並々ならぬパウロの身を削る関わり方によって、少しずつ形成されていきます。
とすると「僕(しもべ)になる」ということが、今日の教会にとっても、どんなに重く、大事なことかをしみじみと思わされます。
(1984年12月30日 説教要旨 岩井健作)
1984年 説教・週報・等々
(神戸教会6〜7年目)
「コリント人への第二の手紙」講解説教
(1984-1985 全26回)