主の派遣(1977)

1977年4月17日 岩国教会週報
「先週(イースター礼拝)説教より」
ヨハネ 20:19-20

父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす。(ヨハネ 20:21)

 一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて家の戸を閉じていました。そこへ「イエスがはいって」(19節)きたので「弟子たちは主を見て喜んだ」(20節)のでした。その喜びは確かに、不安に対しての安堵を表しています。しかし、イエスが「安かれ」(21節)といっている意味はそのような安堵とは全く違ったものでした。それは、イエスが十字架の死によって居なくなるけれども「わたしが去っていくことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去っていかなければあなたがたのところに助け主(聖霊)は来ないであろう」(ヨハネ 16:7)と云われているように、「聖霊を受ける」(22節)ことによって得られる平安でした。それは受け身の安らぎではなく、イエスに従って生きるのだという確かさがもたらす安らかさといえましょう。言い換えれば「父がわたしをおつかわしになった(十字架の死に極まる生涯を通して、父のみこころを成し遂げられた)そのように、あなたがたを(ほんとうに独りで決断し独りで重荷を負い、十字架のあとに従う人間となっていくような場に)つかわすということであります。戸を閉ざしていた弟子たち、過去の追憶と経験にいささかの安堵を憶えていた弟子たち、彼らが現在の困難から未来を開いていく主体として生きるように変えられてゆく確かさの中に「安かれ」というイエスの声が響いています。自分が変えられる場へとつかわされる、そこに主の派遣があります。主の派遣は復活の主の私たちへの信頼と励ましである。

(1997年4月10日 イースター礼拝説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「新年度の教会の歩みのために」「韓国民主化闘争のために」
 礼拝後、第21回 岩国教会定期総会
 岩国キリスト者平和の会 21日(木)午後7時、於岩国教会
 昨年夏期集会報告を配布。


BOX-1. 岩国教会所蔵史

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