わたしの神(1977)

1977年4月10日 復活祭(イースター)
岩国教会週報「先週(棕櫚の主日)説教より」
詩篇 22:1-21

(岩国教会牧師12年目、健作さん43歳)

母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。(詩篇 22:10)

 詩篇22篇の冒頭の一句「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」(エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ)は、イエスの十字架上の言葉としてあまりにも有名である。イエスは死の極みで、この詩を自分の祈りとされた。この詩は苦難の詩である。それは、自分の罪ゆえの苦しみというより、他の者の罪、人間の弱さゆえの苦しみを負う者の詩である。捕囚時代のイスラエルには外面的な苦しみを負っただけではなくて、苦しみの二重構造の中で、底の底から他の人の罪を負い、代わって苦しんだ預言者たちがいた。その苦しみが歌われている。これは決して絶望の歌ではない。前半は祈り(1-21節)、後半は感謝(22-51節)である。1-2節、ヨブの苦しみを思わせる。3-5節、その中で先祖たちの信仰が思い起こされる。「われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」(ヨブ 2:10)。歴史の主はわれわれには災であると思われることを通しても働き給う。先人はそのように生きた。6節、そしてまた人間の無力さ。”虫”と自分を揶揄する。9-10節、ゆだねられた(神に認知された嫡出子を表す)自分の発見。自分の存在の意義を、自分で意味づけようとしたことからの翻りがみられる。「しかし」(3, 6, 9節)という言葉で示される心の翻りの連続こそ、信仰の歩みである。それを通して、頑なな私が砕かれ、神の前での私が強められる。

(1977年4月3日(棕櫚の主日)説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「教会総会のため、新入園児のため」
 受洗者1名(教会学校中学科)
 幼稚園 11日入園式。13日、4月母の会。
 次週17日礼拝後、第21回教会定期総会。


BOX-1. 岩国教会所蔵史

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