洋画家 田中忠雄さんのこと

田中忠雄画伯ご夫妻と

2010.5.24

 洋画家・田中忠雄さん(1903-1995)は聖書をテーマにした作品を描き続け、多くの人達から愛された画家である。私は今「田中忠雄の聖書画から聖書を学ぶ」という聖書講話の集会を、湘南とつかYMCAで持たせていただいている。彼の絵の太い線や大胆な色使いの筆致はルオーに似ていておおらかで暖かい語りかけをしてくる。と同時に社会批判を鋭く宿しているものがあり、活躍した時代を彩っている。

 田中さんは洋画家小磯良平(1903-1988)さんとは、神戸で新設された平野尋常小学校で6年の時同学年だった。年譜によれば「1915(大正4)年、11歳。……よく相生橋で機関車の絵を描いた。岸上(小磯)も描き始め、絵の競争をする。卒業時の席次は岸上が7番、田中が8番だった…… 」 (『田中忠雄回顧展』1998 神戸市立小磯記念美術館)などとある。

 1980年代、私が神戸の頒栄保育学院の理事をしていた時代のことである。かつてこの学院で小磯さんは絵画の講師をしていた。その時代に、頒栄のためステンドグラスの原画を描いたはずだということが話題になり、ステンドグラス作製では先輩にあたる田中さんが小磯さんを訪ねてアトリ工の棚にしまってあった作品にアドバイスをして、やがて「イエスと幼子」という原画が完成し、それがステンドグラス制作者によって作品化された。その作品の掲額の披露の時、田中さんと小磯さんが揃った。ちょっと珍しい機会であった。作品は今でも頒栄保育学院のチャペルに入っている。懐かしい思い出である。

 それ以前に、頒栄が新しい講堂を建てた時に、田中さんに保育の学校にふさわしい絵の制作を依頼するということがあった。私が少年時代から田中さんとは親しい間柄であったこともあって「健ちゃん、どんなテーマがいいかな」と、それとなく相談を受けた。私は即座にル力福音書18章と答えた。「イエスが幼子を祝福する」場面である。幼子たちの中には、2歳でなくなった田中さんの次男忠ちゃんや、一歳の誕生日を迎えないまま天に召された僕の妹・百合子や弟・光世を入れて下されば、と言葉を添えた。その絵も「イエスと幼子」と題して頒栄の講堂に掲額されている。

 田中さんへの思い出は尽きない。田中さんは1934年から東京杉並区の永福町にアトリエを建てた。画業も安定していた。田中さんはご尊父田中兎毛さんが日本組合基督教会兵庫教会の牧師時代には神戸で生活されたのだが、その後は霊南坂教会のメンバーだった。田中さんは、その教派の関係もあり、私の父の開拓伝道を親身になって応援して下さった方だ。父は、もともと銀行員だったが途中から牧師になって、日本組合基督教会のプロジェクトで渋谷の八幡通りで開拓伝道に携わっていた。その教会が新しい地に移転独立する時、田中さんは親類の建物物件を紹介されたり、新しい教会の会計役員を引き受けて下さって初めからそこのメンバーに参加されたようだ。そんなわけで、私にとっては小さい時から「田中のおじさん」だった。ご子息田中文雄さん(国際基督教大学名誉教授)とは、教会学校友達であったので、田中さんの家にはよく遊びに行った。すごく美しく優しい志津夫人は僕の心にずーっと永遠の女性像を刻んでいる。そーっとアトリエに忍び込んだ時の印象では、田中さんの絵は、暗い感じの絵だったことが子ども心にも残っている。後々の絵は「空の鳥を見よ」のように澄み切った明るさへと展開していった。

 田中忠雄さんの略歴を紹介したい。
1903年11月27日、札幌生まれ。父は牧師。1920年兵庫教会にて受洗。京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)卒業。二科展に「夏樹の陰」が初入選。1930-32年フランスに渡り研績を積む。45年行動美術協会結成に参加。戦前は労働者や農民などの主題が多かった。戦後は「彼ら石にて打てり」(1952) 、「基地のキリスト」(1953) など時代の動きをキリスト教と関わらせた作品を残した。「トマスの疑い」(1960) が第4回現代美術展優秀賞を受ける。1969-74年、武蔵野美術短期大学教授。その後キリスト教美術協会結成に参加。1984年毎日芸術賞受賞。作品は聖書をテーマにしたものが多い。「ユダの汚辱」(1952) 、「ゲッセマネ三題」(1958) 、「空の鳥を見よ」(1959)、「トマスの疑い」(1960) 、「ナザレの人」(1963)、「工マオの復活」 (1965)、「イエスを売る」(1970)、「地にもの書く人」(1974) 、「弟子の足を洗う」(1980) 、「ゲッセマネに祈る」(1989) 。また同志社、関西学院、霊南坂、広島流川など、各地の大学や教会にステンドグラスを作製する。1995年11月26日、95歳にて死去。

 田中さんの絵で一枚選べと言われたら躊躇なく「空の烏を見よ」を選ぶ。1959年の作品である。

健作さん所蔵の画集より

「創作ノート」には「イエスと自然」という賀川豊彦先生の聖書講話が心にあっていつか絵にしてみたいと思っていた、とある。「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに天の父はかれらを養ってくださる」というマタイの句を引用しての話だったという。イエスの聴衆は北海道の農村に疎開していたころの農民のスケッチを参考にしたと語っている。男も女も子どもも老人も聴衆は皆耳で聞くと同時に、目でも聞いている。躍動感にあふれている。

 この絵では一つのエピソードを思い起こす。私がかかわっていた幼稚園のH園長は、田中画伯のおおらかな絵が好きで、保育室にこの「空の烏を見よ」の原寸のレプリカを掲げていた。子どもたちはいつもそれを見ていた。ある時、その園で、私はお話をすることになり、「イエス様って知っているかい」と聞いたら「知っとうー!お話する人」という答えがどっと返ってきた。「ほら、あそこでお話してるじゃん」とみんなが指差した。目を大きく聞いて天を凝視し、人差し指で空の鳥を追うように手をかざしたイエスの印象はよほど子どもたちには強かったに違いない。これは聖書のなかでも、最も美しい光景ではなかろうか。自然は信仰の教師である、と言ったのはキルケゴールであったか。
 自然が「永遠性」「神」の象徴となっていることを驚きをもって眺める感性を忘れまい。


2010.10.3発行 単立明治学院教会「切り株」所収