北村牧師との連帯(2010 北村牧師支援・発題)

2010.5.28 執筆、北村牧師支援会での発題原稿

(明治学院教会牧師、76歳)

 岩井健作と申します。最初に、私の教団への問題意識を時系列でお話ししたいと思います。

農村開拓教会の出身

 時系列で申しますと、まず第一に、私は戦後の農村開拓教会の出身です。根底に農村の問題意識があります。岐阜県の坂祝教会(現中濃教会)は創立が1946年、私の受洗も同じ年です

 賀川豊彦の「農民福音学校運動」の系譜の教会ですから「農民と一緒に生きる」ことが福音理解の根本にありました。それは当然私の後の「教会と社会」という問題意識に連続します。

 戦後の日本基督教団は、キリスト教ブームに乗って300万人救霊を目指し「新日本建設キリスト運動」を展開しました。メッセージは「キリストの贖罪論」でした。運動の中心・賀川が語る限りにおいて迫力がありましたが、運動は所詮「パッケージ・メッセージ」の布教でした。賀川は「私は信条だけで世界を救い得るとは考えていない。信条が重要でないというのではなく、信条や教義とともに、社会での贖罪愛が必要なのである」(『友愛の政治経済学』賀川豊彦 1937)と言っていますから、賀川が悪いのではないと思います。

 それを「キリストの贖罪を信じれば救われる」とすり替えた伝道運動にしか用いられなかった戦後キリスト教の指導者のキリスト教理解の貧困さにあったと今になって思うのです。青年前期、私が聞いた賀川の「文明は尻拭きである(贖罪愛の実践)」という生の声が今の心に残っています。そして、この運動は賀川の名声にも拘らず行き詰まります。

 教団は「世と共に生きる」「世に仕える」という「出会いの中に働く福音」に方向転換をします。職域伝道など実践に重きがおかれます。1960年代初めです。「宣教基礎理論」「体質改善論」「伝道圏伝道論」が出されます。今読んでもなかなか新鮮です。僕はその頃、教団の牧師になりました。リーダーは鈴木正久、高倉徹、杉原助(たすく)諸氏でした。バルトよりはボンヘッファーやブルトマンに魅力を感じながら、地域の問題を共有しつつ、現場の教会の宣教と牧会に励みました。

会衆派の伝統・同志社

 第二に、私は会衆派の伝統の教会で育ち同志社で学びました。各個教会が「教会」だという教会観です。それも信徒の教会です。だから牧師も信徒の一人です。教団は改革長老主義の考えを中心に「教憲教規」をまとめましたが、そこにまとめきれない「諸伝統」を抱えている「合同教会」なのです。だから「54年制定の『日本基督教団信仰告白』」も「教憲教規」も規範というよりも「合同」を形成していくための正負の遺産をもった歴史的文書と考えています。ですから、批判的に関わるという姿勢を持っています。改革長老主義の伝統にだけ育った人には考えられないことだと想像しています。でも、これが「教団」なのです。

都市の教会に仕える

 第三に、私は農村教会へという献身の初心に反して、都市の古い教会に請われるまま務めました。少なからずの日本の教会の歴史に関わることになりました。広島流川、呉山手、岩国、神戸、川和の諸教会です。教派的伝統もメソジスト、日基、組合の教会です。

 一方で日本の教会は社会の抑圧・差別・貧困にあえぐ人々からの叫びを受け止めるための働きの大事なことも知らされました。そのような働きに献身した金井愛明(あいめい)、平田哲、福井達雨など同級生です。

 フロントの働きはもちろん必要ですが、私はその勇気もなく、都市の「住宅地(中産層)」の教会の「体質改善」の役目を担うことになりました。私なりの「日本の近代」への批判的関わりだと思っています。その延長に、戦前・戦時・戦後の教団の歴史意識の欠如を感じ、戦争協力の罪責を教団として表明しなければという思いが強く込み上げました。

 具体的には1966年の第17回夏期教師講習会の席上、そのことを訴えました。渡辺泉、岩井健作、山岡善郎、大塩清之助、内藤協が委員となり、校長・鈴木正久がそれを受け止め、第14回教団総会に建議され、常議員会で可決されたのが、いわゆる「戦争責任告白(第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白)」です。これは「教団信仰告白」の非状況性を補うものとなっていると思っています。

問題提起

 第四に、60年代後半から70年代の学生・青年によるあらゆる体制に対する根本的な問題提起は、すでに教区や教団の責任ある担い手の立場で受け止めました。会議制、教師及び教師検定問題、万博キリスト教館出展問題、近代主義批判、宗教批判などなど不十分ではあっても私なりに持続していまだに問題を抱き続けています。

 特にこの中でも「沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同のとらえなおし」という具体的な教団的課題を強く意識させられました。沖縄と本土との関係史、すなわち本土による徹底した差別、抑圧、切り捨ての、幾たびにもわたる「琉球処分」の問題を、本土の教会として受け止めねば、教団のアイデンティティーは確立しないと考えています。

聖書学からの問題提起

 第五に、聖書学からの問題提起です。これは強烈でした。幼い時からのキリスト教理解を根本的に打ち砕かれました。福音書の歴史研究で史的イエスの研究が進み、イエスとはどのような人であったかが明らかにされつつあるということ、原始教会以後、イエスをキリストとして信仰的・神学的理解をしたこととは区別をされて、歴史のイエスの問い掛けが重きを成していることを知らされました。

 聖書を後にまとめられた信条を規範として「何処を取っても金太郎飴」の様に教義的解釈をしてしまってはならないことにも気がつかされました。それぞれの文書が個別の歴史の状況での「信仰告白」的文書であって、その意味では「無数の“信仰告白”」と現在生きている私とが「対話」し「出会う」ことで「信仰的実存」が成り立つのです。

「イエス・キリストの啓示の一回性」を「観念的」に信じることがキリスト教信仰であるならば、人間の生きている歴史が全く欠落して、宗教的観念としての救いに入り込むことになることを知らしめたのは聖書学の知見でした。ここのところは高柳さんにバトンタッチをします。

北村牧師との連帯

 そろそろまとめをします。北村慈郎さんも僕も「パッケージ・メッセージ(信条・教義)」としてのキリスト教の中だけには生きていません。歴史の状況の中で、その都度、福音(イエス)の出来事に出会い、霊的な働きを受け(関係存在として呼び覚まされ)、自分の状況で問題提起をしてゆく生き方を選んでいます。北村慈郎さんの場合、それが抜き差しならないこととして「開かれた聖餐」であったと思います。

 もちろん私もそのような聖餐をある時から自分なりの経験を通して実行しています。彼の場合、東京神学大学の出身でありまた常議員でもあり、影響力が強いので、権力者側からの「免職」という「モラル・ハラスメント」を受けたのだと思っています。「モラハラ」はフランスの精神科医マリー・フランス・イルゴイエンヌによれば「家族などある閉鎖集団での精神的嫌がらせ、虐待、暴力」です。そういう意味では今の教団は、多数派が自分達の偏見に基づく「『教団信仰告白』と『教憲教規』」“信仰”に閉鎖的に囲い込む「閉鎖集団」に仕立てようとしています。

 普通、多数派を握った権力者集団であっても少数派の思想・立場・存在に「対話」の努力をするため「自己相対化の視座」を自覚するのが良識というものです。それが政治の民主主義であり、教会の共同性というものです。

 神学的対話はともすると、異端の相手をつぶすことになりかねませんが、「神学」は固定的なイデオロギー(政治信念)ではなく、絶えず相対化の極みである「十字架の神」を基軸にすえた営みであるべきです。「何々の神学」が大事なのではなくて、相互主体的営みとして「思考すること」「神学すること」が大切なはずです。

 それを常議員会の多数の力をたのみ、教師委員会の多数派工作をした上で、一人の真摯な牧会者の「排除」決めるなどということは、キリスト教の隅にも置けない暴挙です。怒り心頭に達する思いです。私は牧会52年です。私自身が「教団の一翼そのもの」だと思っています。このようなものを「対話」の相手として見ないで「危険」と考えるなら「除名」しかありません。「やれるものならやっていただきたい」と腹を決めています。その意味で北村さんと連帯してゆきます。教団は「岩井健作」を含めて成り立っていることを申し上げて、発題を終わらせていただきます。

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