2010.5.23、明治学院教会(192)聖霊降臨日(ペンテコステ)
(単立明治学院教会牧師5年目、牧会51年目、健作さん76歳)
使徒言行録 2:1-13
1.新約聖書の中の聖霊の働きについて述べている大事な箇所を6箇所あげておきます。
① 信仰の告白
”聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えない。”(Ⅰコリント 12:3、新共同訳)
② イエスの想起
”聖霊があなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。”(ヨハネ 14:26、新共同訳)
③ 執り成し
”霊自らが、言葉にあらわせないうめきをもって執り成してくださるからです。”(ローマ 8:26、新共同訳)
④ 自由の根拠
”主の霊のおられるところに自由があります。”(Ⅱコリント 3:17、新共同訳)
⑤ 交わり《相手に通じる言葉で語る》
”霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した”(使徒言行録 2:4、新共同訳)
⑥ 生き方の実を結ぶ働き
”神の国は、……聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。”(ローマ 14:17、新共同訳)
”霊の結ぶ実は愛であり、喜び、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。”(ガラテヤ 5:22、新共同訳)
これらは、そもそも教会の働きそのものです。
それは、教会がイエスを託された宣教の使命だからです。
このことは「パッケージ•メッセージ(出来あがった使信)」を告げることではなく、「イエスとの出会い(関係)を創造する」働きを託されているからです。
ここはちょっと難しいでしょうか。
本質的なことなので、時間をかけて共に学びます。
この「関係の創造」は、聖霊の働きそのものなので「聖霊は教会に働く」のです。
2.「明治学院教会」と名のつく教会は、「明治学院」の長い歴史の中に過去2回出てきます。
第一次(村田四郎牧師)。第二次(中山昌樹牧師)。
その教会について『明治学院百年史』(昭和52年)はこう述べている。
「ともあれ、第一次の教会が、僅か2年、第二次のそれが約5年という短期間しか命脈を保ちえなかったのは、学校教会の限界を示しているといえよう」(p.284)
いずれも大正期でした。
第3次の教会は、1995年3月の第439回理事会の決議を基として「理事のキリスト者条項に弾力性を付与する決議」を契機として、理事会の意志で教会の設置が決められます。その意志を受けて立った「日本基督教団 上倉田伝道所」と「覚書」を結んで、「通称 明治学院教会」は発足しました。しかし、2003年その「覚書」を終了させ、同伝道所は院外で活動を開始します。けれども、横浜校舎チャペルでの礼拝と牧会を希望する者たちと、それに応えた法人学院により「単立 明治学院教会」が設立され、改めて「合意書」が交わされます。それが今の私たちの教会です。
通称ではなく「単立」発足の2003年5月25日を「創立記念日」として改めて制定したので、2010年の今日が「創立7周年」となるのです。(参照「切り株」4号 2007年12月23日)。
3.さて、過去2回の教会はなぜ命脈を保ち得なかったのか。
そこをどう克服していくかが第3次の教会の課題です。
克服の手がかりを2007年以来の「宣教方針」に掲げて来ました。
それは「集められた教会」「散らされた教会」という理解です。
「礼拝と生活領域」の生きた関係です。
そして、この理解は「学院」の「教会」の強みにもなるのです。
なぜか。以下は語りで。
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