1976年12月5日 待降節第二主日 岩国教会週報
「先週(待降節第一)説教より」ガラテヤ4:1-7
(岩国教会牧師12年、健作さん43歳)
しかし、時が満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ…おつかわしになった。(ガラテヤ4:4)
暦(こよみ)は歴史の理解の仕方を示す。同時に、それは、生きる姿勢でもある。教会では公式には、天皇の即位を基準とする元号(明治・大正・昭和)を用いない。天皇を支配者としてみる歴史理解をとらないからだ。何気なく用いている西暦も、元を正せばキリストを中心として歴史を理解する仕方に基づいている(B.Cは”キリスト以前”、A.Dは”主の年”の意味)。
歴史には、単なる史実(ヒストリー)と、出会いの意味をもっている出来事(ゲシヒテ)という二面がある。例えば『子どもの死』は一面史実でありつつ、他面、その親にとっては人生の深みという出来事への邂逅(かいこう)をもって迫ってくるという意味を持つ。そのように、ベツレヘムで誕生し、ナザレに暮らし、エルサレムで十字架を負ったイエスに、私たちは自分の人生の歴史全体を照らし出され、そこで一つの出逢いを経験することを、聖書は『時が満ちて』と云っている。それは、私たちの側の準備が完了したからではなく、『未成熟』(3節、子どもであった時)な者のところに、『しかし』という切り込みをもって『つかわされて』来る。重荷を負っているところの者にもつかわされてくる。私たちは、それを"待つ"ことが許されている。
(1976年11月28日 待降節第一主日 岩井健作)
(報告欄より)
共同の祈り「クリスマス諸行事のために」
礼拝後、長老会、讃美歌練習、夕礼拝。
山口東分区牧師会 6日(月)
牧師在宅日 7日(火)
祈祷会・聖書研究会 8日(水)
婦人会 10日(金)蛯江紀雄(静鈴園園長)「スウェーデン、イギリスを旅して」


