恐れ(1976)

1976年4月11日 棕櫚の主日 (受難週)
岩国教会週報「先週説教より」
ヨハネ13:31-35、ペテロ第一 1:17-25

(岩国教会牧師12年、健作さん42歳)

おそれの心をもって過ごすべきである(ペテロ第一 1:17)

 ペテロ第一の手紙は、新約聖書の他のどの文書よりも信仰生活における「恐れ」(怖がるという意味ではなく、畏れう敬うの意)に積極的な意味を与えている。恐れの経験は私たちの日常にもある。例えば、やさしい父親が子どもの間違った行為に対して、突如怒りをもって厳しく叱責する時、いつもとは違った父親を恐ろしいまでに感じながら、なお魂の肉迫を憶えるような瞬間などである。そこでは自明になり馴れ合ってしまった人格関係が打ち破られ、驚くべき他者性が示される。恐れはこの全く他なる者(聖なる者)への関わりである。それは信仰を独り合点の理解(分かったという思い上がり)に取り込んでしまったり、逆に勉強不足だから分かっていないと、一見謙遜に、だが頑なに自分の殻を守る態度とは無縁である。信仰生活は「分かろう」とすることではなく、求めることが許されていることに気づくことであり、イエスの十字架の死に極まる生涯に畏れをもって自分の生き方を整え直されることである。ある宣教師が「自分の信仰理解を伝えることではなくて、遣わされたところの人々の苦しみを恐れの心をもって負うことに心せねばならない」という意味のことを言われた(教団宣教師会議の協議にて)。心打たれる発言であった。恐れの心をもって自分の持ち場を生きる者となりたい。

(1976年4月4日 礼拝説教 岩井健作)


(報告欄より)
 共同の祈り「受難週を憶えて」
 礼拝後、壮年会例会。次週イースター礼拝、第20回教会定期総会。
 牧師在宅日 13日(火)
 家庭集会 14日(水)
 祈祷会・聖書研究会 14日(水)
 婦人会委員会 15日(木)
 総会資料作成 16日(金)
 岩国東教会にて受難週聖餐式礼拝 17日(土)

 岩国キリスト者平和の会 15日(木)


BOX-1. 岩国教会所蔵史料

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