トマスの疑いとイエス(1975)

1975年4月6日 岩国教会週報
「先週(復活祭礼拝)説教より」

(岩国教会牧師10年、健作さん41歳)

八日ののち…トマスも一緒にいた。イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。(ヨハネ 20:26)

 イエスの弟子トマスのことはヨハネ福音書に三度出て来る。危険を冒しイエスと共に死ぬことさえ厭わないと語る(11:16)、また彼は解らぬことはすぐに尋ねる(14:5)といったように、常にイエスに寄り添っていた情熱の人であった。そして「わたしの指をその釘あとにさし入れ…てみなければ、決して信じない」(20:25)とイエスの復活について語った。これは「トマスの疑い」として知られる有名な物語であるが、疑い深さというより、イエスに寄り添った彼の情の表れであろう(イエスが他の弟子たちに現れた時、トマスが「一緒にいなかった」(20:24)のは、イエスの死の悲しみを一人で胸に秘め、交わりを離れていたためだという解釈〔バークレー〕はトマスの人柄を鋭く見抜いている)。そのトマスを含めてイエスは「安かれ」と祝福を与える。情熱でイエスに寄り添っていたトマスが、イエスに従う自立の道を辿ることへの祝福である。トマス行伝(新約聖書外典 講談社)によれば、トマスはインドへの伝道に赴かせられたが、そこで苦しんでいる人たちの解放のために働き、遂に王をして改心に至らしめたと記されている。そこで記されている主の言葉も「平安あれ」(トマス外伝 27)である。

 トマスはトマスなりに招かれ、祝福を与えられている。それはトマスなりに自分の情を折られつつ経験した新しい生(復活のイエスにふれ合う)であった。

(岩井健作)


BOX-1. 岩国教会所蔵資料

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