実を結ぶ奉仕(2013 礼拝説教・洗足・母の日)

画像出典:小磯良平「神戸教會々報 No.90」1978.12.23より、
2013.5.12、明治学院教会(311)復活節 ⑤

(単立明治学院教会牧師、健作さん79歳)

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申命記 10:12-15、ヨハネ 13:1-7

 それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。……「後で、分かるようになる」と言われた。(ヨハネによる福音書 13:5-7、新共同訳)

1.「儲かりまっか」

 大阪で庶民が交わす挨拶です。「儲け」に関係しているのに割に爽やかなのは、そこに自分本位・やりたい放題の思いが表に出ていないからでしょうか。

 ところが「儲け主義」は経済至上主義といって、資本力であたりを蹴散らし、貧しい者を切り捨てる横暴がまかり通ります。まだ放射能や廃棄物問題が未解決だというのに「原子力産業」を外国に売りまくる「この国の首相」のニュースに悲しみと憤りを感じている人は多いと思います(東京新聞 5月11日社説が批判)。

「儲け」の対極は「奉仕」「ボランティア」です。

 教会はまさに奉仕の共同体です。しかし、奉仕も勝手本意になるとどこかおかしくなります。

 今度の震災で「キリスト教のボランティアお断り」と言われた地域があったと聞きました。「衣の下の鐘」でキリスト教の宣伝がチラついていたのでしょうか。隠れた自己本位・自己充足・身勝手への戒めです。

2.洗足

「イエスの洗足」の話は、表では「師が(奴隷の立場で)弟子に仕える」奉仕の話。

 内面では「イエスの十字架の死」の意味を暗示する話です。弱く、罪深い(自己中心な)自分も、(神の)愛で贖っていただき、たとえ他人を侵し、傷つける者もなお、裁きに勝る赦しをもって包んでくださるという暗示です。

 他の福音書では「主の晩餐(パンとぶどう酒)」が「イエスの贖罪(神の子羊)」(1:29)を示している位置にあります。

 奴隷の仕事を「たらいに水をくむ」まで自分でやっている件は感激ものです。ヨハネの教会はユダヤ人の迫害に晒されてきた教会でした。本当に内々のいたわりが必要でした。

3.もし「本当の本当の奉仕」があるとすれば、

 それは、イエスの生涯と業が示している「福音の出来事」に驚異するばかりです。

 しかし、ここでイエスの奉仕に近づく慰め深い、二つのルートが恵みとして示されています。

(1)「今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(ヨハネ 13:7)

(2)「あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(ヨハネ 13:15)

 ヨハネの教会には「自分に死なない」奉仕があったのかもしれません。いや、イエスの当時の弟子集団も同じだったのでしょう。

 分かっちゃーいなかったのです。

 そういえば、我々だって同じことです。

「後で分かる」は歴史の世界を生きることです。そこで生を刻むことが許されている、ということです。

 失敗があってもいい、罪責を告白しつつ、前に向かって進むのです。

「模範」は「まねる」という教育の世界を生きることです。教えることはできなくても学ぶ(まねる)ことはできる、と言われます。

「背中が語る」生き方が世代を繋ぎます。

 今日は「母の日」です。地上でイエスの「愛」をよく映し出しているのは、子を想う母の愛でしょう。

「後で分かる経験」として大切にし、「まねて」生きてゆきたいと思います。

4.神戸での経験

 神戸での経験ですが、毎年「一灯園」の方達がグループで「日の寄進です」と言って、教会の掃除をさせて欲しいと来られました。トイレなど綺麗に掃除をしてくださいました。隠れた形でイエス様が来られているのだなぁ、と頭が下がりました。

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