十字架(2009 小磯良平 ㉘)

2009.9.2、湘南とつかYMCA “やさしく学ぶ聖書の集い”
「洋画家 小磯良平の聖書のさし絵から聖書を学ぶ」㉘

マタイ 27:32-44、マルコ 15:21-32、ルカ 23:23-49、ヨハネ 19:17-22

(明治学院教会牧師、健作さん76歳、『聖書の風景 − 小磯良平の聖書挿絵』出版10年前)

1.小磯さんの「十字架」の挿絵は、口語訳聖書(1980年版)では、ヨハネ福音書の箇所に挿入されている。

 そこには深い意味が込められているように思う。

 それはこの挿絵が、ヨハネの箇所からの示唆で描かれているからである。ヨハネの記述はこうである。

イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴタ)という場所に出て行かれた」(ヨハネによる福音書 19:17、口語訳聖書 1955)

 ヨハネはイエスの十字架の記述にあたって、共観福音書(マルコ・マタイ・ルカ)が収録しているエピソードを省いてしまっている。

 キレネ人シモンに十字架を負わせて運んだことなどの話である。「イエスはみずから」というのは多分に「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ3:29)というヨハネの神学の考えに基づき、代わりの十字架を負うという考え方が、彼の神学に相容れなかったので削除がなされたと思われる。

 古くからこの箇所は旧約聖書の創世記22章の「イサク物語」と重ねて解釈がされてきている。

「イサクは、いけにえとして父に連れてゆかれた時、みずから木を背負って、こんなに早い時期にキリストの死を指さし、キリストが事実そうであったとおり御父によるいけにえであることを認め、キリストが事実なさったとおりキリスト自身の受難の木を運んだのである」
(テルトゥリアヌス『ユダヤ人への回答』10、榊原康夫『ヨハネ福音書講解下』より引用、小峰書房 1978)

 十字架刑による死刑判決とその執行は、ローマのユダヤ総督ピラトの役目であった。

 絵には兜をかぶり馬に乗ったローマ兵がイエスの前後に描かれている。

 後ろに群衆たちがついて行く光景は「大ぜいの民衆を、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとがイエスに従って行った」(ルカ23:27)の記事を念頭において描かれたのではないかと思われる。これはルカのみに出てくる描写である。

2.古来、十字架の場面の宗教画は多い。

 初期は十字架上のキリストは「勝利者キリスト」である。イタリアのトスカーナ地方に流布した祭壇画などは十字架上に生きるキリストが描かれている。目を大きく開き、死に打ち勝ち、人々を祝福する。

 しかし、13世紀になるとジュンタ・ピサーノの『十字架上のキリスト』のように写実的表現がとられ、頭を垂れ苦痛の表情の死んだキリストが描かれる。16世紀のグリューネヴァルトの『イーゼンハイムの祭壇画』(1515)は十字架のイエスの体の細かい傷跡から滲む血の跡が克明に描かれ、見る者が目を覆わせる迫力がある。この絵が疫病の患者の死の恐怖を救ったという。私にも、アルザスのコルマールの町で実物を見た時の印象が今でも残っている。日本では淡路島の大塚国際美術館がこの絵の陶版の複写を展示している。

 最近出版された『地図と絵画で読む聖書大百科』監修バリー・J・バイツェル、日本語版監修・船本弘毅、創元社 2008)は、イエスの十字架の場面では、17世紀のフランス・フランケン2世『カルバリに向かうキリスト』(十字架を負うイエスには光輪が描かれ、ローマの軍団とユダヤ人が大袈裟にそれを囲む)、16世紀のルーベンスの『キリストと二人の強盗』(苦痛の極みのイエスが描かれる)、ドイツのリトログラフ『神の手の働き』(真昼の闇の三つの十字架の周囲で神の働きによる自然の猛威におののく人々、気絶する婦人達が描かれている)などを載せている。いずれにせよ、十字架の壮絶な場面を印象付けることで、メッセージを語ろうとする。もともとイエスの十字架刑による死は壮絶なものとしてしか描きようがない。

3.しかし、小磯さんはその壮絶そのものの十字架を直接には描かないで、いわゆる苦難の道行き(ヴィア・ドロローサ)の場面を描くことで、想像力を十字架の記述への諸場面へと想像力で繋げる効果をもたらした。

 挿絵画家の手法がそこには見られる。

 残された下絵のデッサンは二枚あるが、aは完成図に近い構図、bは近景の家の壁がない「道行き」だけの場面である。完成図は外出途中の母と子が行列を避けて家の中からそっと十字架の道行きを見守る構図である。

 読者の目を、母と子の目を迂回させる事で、一層膨らみを持たせ、十字架の出来事への想像力を促している。この手法は、小磯さんの穏やかな感性によるものであろう。

4.いずれにしても、十字架の場面に「母に寄り添う子供」が出てくることは、小磯さんならではの発想である。

 小磯さんの養母・英さんは神戸女学院第一期生で、神戸女学院を設立したアメリカンボードの女性宣教師・タルカットとダッドリーからピューリタンの信仰的訓練を受けた女性である。

 明治のキリスト教信者の気骨を備えていた。

 小磯さんはその影響を大きく受けている。母の目線でイエスを見たに違いない。

 この絵も、子・母そしてイエスが一本の線でつながっている。

 私には、この少年が小磯さん自身である様な気がしてならない。

 いずれにせよ、優れた挿絵である。

 小磯さんの聖書挿絵から一枚を選ぶとすれば私はこの絵を選ぶ。

《本文語彙解説:健作さんによるもの》

ゴルゴタ:ヘブル語 “gulgo-let” のギリシャ音写で「頭蓋骨」の意味、イエスが処刑されたエルサレムの場所。ラテン語訳聖書はカルバリア(図蓋骨)を当てたので、カルバリー(されこうべの場)が出た。

共観福音書:新約聖書学では、二資料と言われる「マルコ福音書とイエス語録(Q)」を基礎としてマタイ福音書・ルカ福音書が成立した。

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