共に十字架を負いつつ(1978 神戸教会牧師就任・宣教方針・教会総会)

1978.4.23、 神戸教会 第104回定期総会、総会資料

(牧会20年、神戸教会牧師 1年目、健作さん44歳)

 御教会のお招きに主のみこころを信じて、神戸にまいりました。

 貧しい器がどのように用いられるのかは、およそ未知であります。

 み旨のあるところには必ず道も備えられて、その仕え方も機にふれて導かれ、あらわにされていくことを信じつつ、その務めを負ってまいりたいと存じます。


 神戸教会は長年の祈りであった会堂の大修理を教会の一致したわざとして成し遂げ、それを通じて教会を顧み育て訓練し給う神の恵みを充分に与えられたことと存じます。

 今、主にあって時満ちて、20年間にわたって児玉牧師を中心とした伝道と牧会が感謝のうちに教会の多彩な歴史に豊かなページとして加えられんとしています。

 その時の流れのさ中に立って、これから神ご自身がこの教会に課せられようとしている課題を、心を静めて、「信仰は聞くことによる」(ローマ 10:17)とのみ言葉に従いつつ、祈りのうちに聞きとることが、新しい歩みではないでしょうか。


 教会の塔から神戸の街並みを眺める時、この会堂が献堂された1932年には考えられなかったような高層のビルが林立しています。

 と同時に視界も狭まり、その死角には高度経済成長を促してきた日本のひずみの暗い部分も限りなく沈んでいます。

 主イエスによって負わされている世の罪と悲しみが人の目には遮られており、それが現代の教会においても例外ではないことを象徴しているようです。


 しかし、世の罪のただ中に私たちに先立ちて立ち給うのが主であることを信じ、共に十字架を負いつつ、信仰の経験を頒(わか)ちあっていく主のからだの肢(えだ)としての交わりを厚くしてまいりたいと存じます。

 会員のお一人お一人が、それぞれの生活の歩みの中で刻んでこられている信仰と生活をまずお聞きしながら、さらに共に育てられていくための課題を語り合いつつ歩みをはじめてまいりたいと存じます。

牧師 岩井健作

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