1974年5月12日 岩国教会週報
「先週説教より」マタイ6:5-14
《翌週週報欠落》
(岩国教会牧師9年目、健作さん40歳)
あなたがたの父なる神は…あなたがたに必要なものはご存知なのである。(マタイ6:8)
マタイ6章5節以下の祈りについての章句で言われているのは、偽善の問題の克服である。人前だろうと(5節)自分一人だろうと(6節)自分自身の力で(つまり律法的に)自分の偽善は克服できない。自分でもわからないくらい深いところにある(”隠れたこと”として)偽善を見ておられる方が、偽善のある自分をも含めて受け入れてくださることを信じるとき、偽善から自由になることができる。
第二、私たちは自分の必要を知っているようでいて、そうではない。「肉なべのかたわら」(出エジプト16:3)から荒野へと導き出されたイスラエル民族は、不足を訴えた。だが、荒野の道が彼らに必要だったことは、彼らに隠されていた。主(ヤーウェ)が「必要」とされた荒野での40年の体験は、後になって初めて明らかになった。「必要」という語(”クレイア”)は「用いる」とか「役目」という意味からきている。「父なる神」から用いられ、役目を与えられることこそ、祈りに先立つ事実であることに気がつきたい。
(1974年5月5日 岩国教会 岩井健作)


