「キリスト教主義教育研究プロジェクト公開研究会」
2013年7月24日(金)午後2-4時 明治学院大学白金校舎
岩井健作(明治学院教会牧師)
1.「日本プロテスタント宣教150年」という理解ヘの異議申し立て
「日本プロテスタント宣教150周年記念大会」(資料①)に対して「ベッテルハイムと琉球伝道」(資料②)をもって宣教の年代(宣教163年)を見る歴史観からの問題提起がなされた。
1-1.「日本」という表現に、薩摩の侵攻(1609年)以来醸成され、明治近代国家の琉球処分(1872年)により増幅され続け、第二次大戦、米国支配を経過して現代に至るまで脈々として底流し続ける「異族・異国」そして「辺境」としての琉球・沖縄に対する差別構造が表されている。沖縄はいまだに日本ではないのです(鏡平名長秀)。
実質的には徳川幕府政策による薩摩侵攻承認以来、沖縄は琉球国でありつつ日本の植民地、日本の支配にあった故、ベッテルハイムの伝道(1864年)を日本の宣教の初めと位置付けるのが照屋善彦氏(琉球大)の立場である。宣教150年という歴史観には、近代主義(天皇制絶対主義国家の連続性が表面に立つ)への反省(戦争責任などを含む歴史観)が見られない(村椿嘉信)。
1-2.キリスト教は本来イエスの振る舞いと言葉、そしてその生涯に基づき、状況への人格的関わりを抜きにしては生命を失う宗教である。それが、状況を捨象して成り立つ信条主義、神学主義に陥る時、歴史と遊離して「信仰」「教会」が一人歩きをする。
沖縄で説かれる福音は「沖縄の歴史的苦悩」を負って解かれる。「日本プロテスタント150年」という発想は、日本近代史への主体的関わりを捨象した理解をしているので、「沖縄」(歴史抜きでは語れない、苦悩の現実)からの痛烈な批判を受けた。沖縄には沖縄でしか語れない「福音」がある。沖縄の苦悩を共にする「福音」である。
2 .「合同のとらえなおし」
もし「日本キリスト教宣教学辞典」(仮称)が編集されたとしたら「合同とらえなおし」は見出し語として選択されるべき用語だと思う。事柄は、1969年に「日本基督教団」と「沖縄キリスト教団」とは合同。しかし、その合同が対等な教会の合同とは程遠く、「大が小を呑む」「合併、吸収」に等しい「合同」であり、国家の1972年「沖縄施政権返還」の質と同質のものであった。「施政権返還」は「日米安保」の同時締結で、沖縄基地負担は変わらず、以来沖縄に「安保」の苦難(国土の0.6%の沖縄に74%の米軍基地を押しつけたまま)をそのままにしたものであった。これと同質の「合同」であったことを「日本基督教団」側の自覚ある当時の執行部が反省し、第20回総会(1978年)で 「『合同』のとらえなおしと実質化」 (54号)を可決した後、教団で取り組まれた営みの全体を総称する言葉である(資料③)。
反省は本土側というより沖縄側の問題提起に始まった。当時沖縄で取り組まれていた、米軍基地への土地接収への反対署名を、沖縄の教会は真剣に取り組んだが、本土側では、推進したにもかかわらず、全国ほとんどの教会が無関心で、署名には取り組まなかった。この事実に、沖縄教区は怒りを込めて抗議した。教団から間安使が派遣され、沖縄の現実に触れ、そこにある「沖縄差別」を教会的にどう克服してゆくかの課題を含めて「合同とらえなおし」は始まった。筆者はこの作業が始まって設置された「合同問題特設委員会」の委員長を何期が務めた。合同によって新しい教団の名称が沖縄教区(旧沖縄教団)より提案された(初総会期、資料④)。それは「日本合同キリスト教会」であった。約1700教会(沖縄は30教会)を擁する「日本基督教団」側の受け入れられるところとはならず、第33回総会(2002年)で、審議未了廃案にして「合同とらえなおし」関連議案そのものを破棄してしまった。
「沖縄教区(旧沖縄教団)」側は抗議の意味を込めて「当分の間、教団とは距離をおく」と教区常置委員会で決議し、公的な人事に対する関係を絶った(財政関係を除く)。以来、教団との公式な関係はない。なお、「合同とらえなおし」に関する文献は、沖縄側から平良修、山里勝一、高里勝介など、多数がある。本土側にも論考は多い。筆者の論は(資料⑤)沖縄への無理解・差別が福音理解に根差していることを教団戦後史とのかかわりで論じたものである。
3 .「求め、すすめる連絡会」
沖縄教区が教団への関係に距離をおくという問題提起を受け、公式組織機関ではなくて、教団の信徒・牧師が個人を単位として、「沖縄」への関わりを持ち続け、提起された「合同とらえなおし」を実質的に担ってゆくための行動が2004年(第34回、合同後19回教団総会時)興された(約200人参加)。 「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同とらえなおし』をすすめる連絡会」と称し、略称を「求め、すすめる連絡会」(世話人代表:岩井健作)である。
教団では公式には、教団総会に沖縄選出議員は参加していない。しかし、地方の教区の幾つかは「沖縄交流委員会」を設け、教区間では、教会や信徒の交誠、基地闘争の共有を行っている。「求めすすめる連絡会」(資料⑥)は、NGO(民衆的)的働きとして、教区機関また沖縄の教会有志との連絡を取っている。同会は『求め、すすめる通信』を第17号まで発刊している。
そこには、全国の米軍基地のあるところで、基地撤去、あるいは基地抗議の運動を続けているキリスト者との連帯、情報交換の役割を担い、同時に、沖縄への構造的差別に本土からの応答としての役割を担っている。
4 .沖縄教区側の働き、「島ぐるみ」闘争に本土はどう応えるかの課題
沖縄教区は教区に「合同問題特設委員会」を設け、これを推進するため全国の教区を回るキャラパンを実施している。2002-2003年に18地区に28名(信徒17名)が派遣され、交流の実りの報告が『通信第4号』(p.43)でなされている。辺野古・高江への反対闘争には沖縄の教会は積極的に参加、本土の厚木・座間・横須賀・岩国の基地闘争が連帯として報告されている。
現在沖縄は普天間の「県外移設」が島ぐるみ闘争になっている。この世論に対して「本土」がどう応えるかが課題である。「米軍基地撤去」「安保破棄」をスローガンとしている本土の反基地運動は、沖縄の叫びに具体的に応える局面に来ている。本土の運動への展望を開く必要があるのではないか。他に沖縄の課題に取り組んでいる運動として「平和を実現するキリスト者ネット」がある。