1973年7月1日 岩国教会週報
「先週説教より」ヤコブ1:19-25
(岩国教会牧師8年目、健作さん39歳)
完全な自由の律法を一心にみつめてたゆまない人は…実際に行う人である。(ヤコブ1:25)
ヤコブの手紙1章には信仰生活の中での二つの大事な面のことが語られている。一つは、信仰の規範というか、いわば救いというものの客観的側面である。「真理の言葉」(18節)、「御言(みことば)」(21節)、「完全な自由の律法」(25節)といった表現で言われていることである。旧約では「神の選び」と云い、パウロは「神の恵みにより」(ロマ3:24)と云い、福音書は「神の国(支配)」と云う。ここで言われている事柄は、私たちの気持ちや思いを超えて、私たちの現実を支えている。もう一方は、「忍耐」「努力」「誠実」といった事柄で、いわば主体的な側面、信仰の精進といった事柄に属する。一つのことを一心にみつめて離さないということであるが、ここでは、そういった誠実さ、精進はそれ自体として尊いのではない。そうであればそれは精神主義の一つに過ぎない。一心にみつめるべきは、客観的規範の内容である。我々の出来栄えや努力が一心であるかどうかが問題なのではない。一人の人間の生に意味を与えている「福音」を、一心に見つめることこそが大切なのである。人生には時としてスランプがある。その克服は自分をみつめることではなく、自分が活かされている、足元の現実、それがたとえ小さなことであっても、そこから生き始めることこそ大切なことである。
(1973年6月24日 岩国教会 岩井健作)


