セレモニーと日常(2000 宣教学4)

2000.9.29(神戸教会牧師23年目、健作さん67歳)

 今日は、「セレモニーと日常」と題して、キリスト教(宗教)が日常的な役割として行っている結婚式や葬儀などの儀式をめぐって考えたい。日本における葬儀の95%は仏式で行われ、5%が他宗教あるいは無宗教で営まれている。キリスト教はほぼ全葬儀の1%に過ぎない。ある人の人生でキリスト教による葬儀に参加することは、きわめて少ないのは当然であるが、その場合、ある種の新鮮さがあるのは、儀式(セレモニー)が、多少なりともその人の日常的なあり方を反映しているからであろう(そうでない宗教的形式のみが前面に出ている場合もある)。結婚式の場合は、ホテルなどの商業政策に乗って儀式としての「キリスト教式」、「チャペル結婚式」が、非キリスト教国であるにもかかわらず、かなりの普及をしているのは、その現代的なファッション性によるものと思われる。しかし、それが日常的な生き方の表出とあまりかけ離れていることに気がついている若者は、街の「教会」で結婚式をあげたいと言ってくる。これは日常と儀式との関係を出来るだけ近づけたいという意識が働いているからであろう。

 筆者が経験してきたいくつかのエピソードをたどることで、「セレモニーと日常」のもつ関係の、宣教的意味〔これまで述べてきた(1)、(2)、(3)の延長戦での考察〕を探りたい。

1. O氏の場合

 O氏は「典型的・模範的」クリスチャンであった。氏の両親は、明治初期、宣教師による日本宣教の初期にキリスト教に入信した。米屋の商売であった。当時、休日は、1日と16日に決まっており、日曜日を休日とする習慣はなかったという。あるいは政府が日曜休日を決めたとしても商売の世界に充分浸透していなかったのかもしれない。しかし、氏の両親は、店を閉じ、家庭で日曜学校を開き、日曜日の「主日礼拝」は厳守したという(出エジプト20:8参照)。その両親の信仰を受け継ぎ子息のO氏も、信仰と生活の関係の重視には生涯、務めて励んだ人であった。「聖職者」の道を選んだ訳ではなかったが、キリスト教主義の学校、運動団体の職業において、「召命」性の密度の濃い生涯を送り、教会生活における奉仕においても、日常生活においても「聖俗」の関係の緊張を生きた。同氏は85歳を越える頃から、自らの死の内面的問題に取り組むのと同時に、生涯のしめくくりとしての葬儀の問題につき思いをめぐらし、自分の意志をはっきりさせることと、そのことを近親者、友人・知人の了解を得るために「葬儀について(一般論であると同時に、自分の)話し合う会」を開催した。筆者も所属教会の牧師ということで招かれた。20数名が、参加した。教会の教職者も何人かがおり、社会的には、それまでに関係した団体、友人などがいた。氏は「いわゆるお葬式は自分はしない」という見解を述べた。賛成論もあり、反対論もあった。反対論は「自分の生涯を神への感謝でしめくくらないのはよくない」、「死別は社会的な性格の面があり、告別の機会をなくすのはよくない」等々であった。氏は、死んだ場合、社会的通知公表はしない。牧師を呼んで、祈りは捧げてもらい、家族と共に神への感謝のしめくくりはする。知友の弔意、社会的儀礼・告別の気持ちを重んじるので、遺体の献体の後、遺骨が帰ったら、家族主催で「記念の礼拝」のみを公開で行う、というものであった。セレモニーがもつ社会的意義は、皆が納得する形で「記念礼拝」(ここでは、礼拝と後の家族の挨拶のみ、いわゆる記念会に類する、偲ぶ会、思い出を語る会はしない。死んだ者を、いくらほめてくれても、死人には聞こえないから、それはなくてよい。故人の歴史的存在・主義は、各人が受け止めればよい。残った者への内面化が意味を持つ)のみを行う、というものであった(後々、子息が、記念誌はまとめたと思う)。

「集い」の席上、氏の主旨は「葬儀費用の無意味さへの批判か」との問いがあったが、氏は「それもある。それ相当分位は、家族に託して、社会的な意義に用いたいと思う」との答えもあった。同氏の場合、セレモニーの社会的意義を受容しつつ、セレモニーを出来るだけ、自分の生涯の日常的生き方に近づけるという意思表示でもあり、後日ほぼその通りに行われた。社会的・人生論的通過儀礼を日常の生き方との相関関係で捉えることは、個人個人の生き方、家族との生き方の共有、社会生活との関わりがあり、一概にどのような形で行うのが、よいかまた悪いのかを一概に論じることは出来ない。限りなく日常性に近づければ、「死んだこと」も、社会的には後日追認してもらうこととして、一切のセレモニーなしで、生涯を全うすることもあり得る(筆者の経験では、家族のみで、「送り」を済ませた例は、いくつもある)。人間は、社会関係(家族を含めて)の中で生きているから、セレモニーを無しにした場合でも、生前の日常性が、死後の日常性へと、意味を持ち、再生することが可能であれば、セレモニーは無くとも、また、限りなく日常性に近づけることができる。逆に、日常的な関係がその社会性あるいは共同性において生きていなければセレモニーはどんなに盛大であっても、限りなく、儀式の習俗的〔日常化〕の中に埋没して、本来セレモニーが持っている社会的繋がりの再生化の意義を失う。人はそれぞれの文化状況、時代状況、社会的人間関係に生きる。セレモニーは、それを人間の共同性に向かって閉ざされた方向にではなく、開かれた方向に窓を持つことで、意義をもつのではないか。

2. 二つの結婚

 I氏の場合。結婚式はしない。現在の日本の法的制度は女性の地位の男性への従属は否めないので夫婦別姓を貫くためにも届出はしない。事実婚のみがとり得る道という結婚生活を始めた。もちろん生活のスタイルにおいても、日常を限りなく、事実婚の共同性の質を限りなく真実なものへと「結婚生活」を始めている。しかし、それぞれの両親の納得という、最低限の社会性をどのように確保するかが問題となった。もちろん、主義主張を貫くことで社会的問題提起を行うことを「結婚」の意義とすれば、それはそれなりに、社会性・共同性のあり方に開かれた提起となる。しかし、その受け取られ方が、イデオロギー的になり過ぎた場合、それは、もはや思想性のある開かれた関係とはならないとの判断をした。I氏夫妻は、最低限の開かれた関係の具体的回路として、法的届出の道を選んだ。「届出」というセレモニーが、事実婚を閉ざされたものとしない意義を負うこととなった。

 S氏の場合。結婚式は、ほとんど社会的通念にのって進められた。披露宴もホテルで職場の関係者を招き、時代の常識的セレモニーの形を保ったが、その中に、職場の日常を根本的に問うセレモニーの中での言葉を配することで、セレモニーの場を逆に人間の共同的あり方の価値観を問うことで開かれたあり方への回路としてセレモニーを意義づけた。問題は「セレモニーと日常」が、その緊張関係において、開かれた人間関係の創造に向かってどこに焦点をあてているかである。この関係を見失った時、セレモニーは形骸化し、習俗化への方向へと傾斜する。逆に人間関係、その共同的あり方、共に生きるという「宣教学的課題」に開かれた方向を持ったならば、セレモニーはその都度それを担う者の中で生き、日常を新たな共同性へと喚起することになるであろう。

 マルコ福音書における「イエスの墓への葬り」(15:42~47)は「降架」というセレモニーを示している。

 伝承としては、独立したもので(15:41は16:1に続き、その繋ぎが15:47に入れられている)、ほぼ史実に近いものだとされている。イエスの死の確認と葬りの主役はアリマタヤのヨセフが演じる。ここをどう見るか。葬りは社会的な営みである。アリマタヤのヨセフ(金持ち〔マタイ〕、議員、身分の高い〔マルコ〕、善良な正しい人、同僚の決議や行動には同意しない〔ルカ〕、イエスの弟子でユダヤ人を恐れそのことを隠していた〔ヨハネ〕)がピラトに願い出て、葬りは可能となった。百卒長により死の確認が行われている。十字架から降ろして亜麻布で包む、岩を掘った墓に納める、入口に石を転がす。この記事は、葬りのセレモニーである。イエスの死の社会的確認である。百卒長、ピラトがそのことを確かめている。アリマタヤのヨセフの存在の、神学的、思想的意味は別にして、社会的儀礼としての葬りは、イエスの死の社会的確認としての意味を持つと同時に、そのこととの緊張関係でマルコ福音書はイエスの日常性にその意味を戻している。マルコはイエスの「復活」を、ガリラヤへの日常に回帰させ、日常性が死によって閉ざされたものではなく、開かれた人間の共同性の肯定として明示する。ここには、日常とセレモニーの深い関係がある。セレモニーは習慣、習俗、形式になりやすい。しかし、セレモニーを一切排除する時、日常はリズムと、日常のリフレッシュあるいは、日常の日常たる現実の意味を失う。セレモニーを活かす日常と、日常を活かすセレモニーの宣教〔学〕的視点は、歴史・文化との関わりにおいてセレモニーを今・ここで「共に生きる」開かれたものとして創造する力に向けられるべきであろう。

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