『河原の教会にて 戦争責任告白の実質化を求めつづけて』
大倉一郎著、新教出版社 2000
「本のひろば」(財団法人キリスト教文書センター)2000年10月号所収
「行く先を知らないで」。古来、神の働き人たちは、この言葉に大いに励まされ導かれてきた。著者もその証人の一人である。
二十五歳の夏、北海道旭川市知外の重度心身障害者施設でボランティアの活動中にA君いう園生を抱きしめた時、彼の中にイエス・キリストがおられると実感した。公立学校の教師を辞めて神学校に進む。その先で得た聖公会司祭の職を民族差別問題で上司にに抗議したことによって失う。お連れ合いの田光礼さんの大学院復学のため、北海道を旅立ち東京に出る。途方に暮れたあげく、旧知の関田寛雄牧師に電話して助けを乞う。これが著者の、「河原の教会」との出会いである。この日から彼は、多摩川の川の流れの面に十本余りの柱に乗せて建てられている「ヨルダン寮」即ち「教会」の住人となる。そこで戦後日本の近代都市川崎の最底辺に疎外されて生きる戸手の街の人々の悲しみと苦しみ、そして優しさと喜びを共にする。在日韓国・朝鮮人の地位と生活に集約された、日本人・日本国家の深い罪責を自覚しつつ、日本基督教団戸手伝道所牧師の務めを続ける。
以来十五年。その間、挫折も経験し、またカナダ合同教会による三年間の留学の機会を挟み、「戸手の牧師」の自己理解を深めていく。著者は、娘さんの健康のことが契機となり、また「河原の暮らし」を受け継ぐ同僚も得て、「ヨルダン寮」の生活に終止符を打った。暮らしの共生が大事だと考える著者は、自らの戸手での役割の終わりを自覚し、今まで教会の週報に書いてきたものを、現場報告として繊められた。それがこの本の成り立ちである。三十七の独立した文章には、重い個人史を持つ在日の人々との出会い、牧会の喜びと悲しみ、在日と共なる戦い、敬虔な信仰と祈り、神学する姿勢などが滲んでいる。心に残る事柄は、この紙面には書ききれない。幾つのみ記させて頂く。
「戦責告白」。戸手伝道所の宣教方針は「戦責告白」の実質化と発展である。「発展」とは在日の人々と共に担う教会形成の場合、彼らは告白者ではなく、その真理契機の理解者であることをふまえた視点である。多民族共同体の問題意識がそこにある。ここまで「告白」の深化を、との思いを抱く。「戦責」を教会の誤りとしてではなく、単なる倫理の誤りの問題だと、これを認めず、教会の数量的拡大こそが「伝道」だと、いまでも思っている人々への痛烈な批判が込められている(p.73-74)。
「警告書」。建設省からの河川法による戸手住民への退去を求る警告。戸手に住まわざるを得ないのは、日本社会の民族差別の構造的罪の結果である。「法は法だから」という教会内の分別論に「神の国は超法規だ」と関田牧師の発言。同意者は多くはなかったという。牧師の覚悟の程が窺える。
「太平丸沈没事件」。韓国人戦争犠牲者江道原遺族訴訟に関わる裁判支援が教会をあげて行われた。著者の亡き父君もかつて軍人としてこの輸送船の沈没から生還した。権力の虚無の闇としか言い様のない原告敗訴の裁判所の判決に、原告と共に裁判所に座り込んで抗議する著者は、戦後なお重く深い日本の罪責を体で表白している。
「事件の宣教」。戸手には事件が多い。事件のたびに、この中で最も弱い者の立場に自らの身をおくことの洞察を伝道所は基本としている。容易なことではない。
「ブックカバーの二枚の写真」。この本を手に取ってこの二枚の写真をじっと眺めるだけで普通の感性の持ち主は「罪責」を感じないだろうか。是非、買い求めて見てほしい。
読後の希望を二つ。著者の福音理解は「解放の神学」の影響が強い。聖書の文脈そのもの(現代聖書学の成果をふまえた)と現場との相関関係への切り込みを切に望む。週報の文章なので、前面には出にくいが、同伴者回光礼さんと著者の実存との関わりは奥深いものがあるに違いないと思う。そのお話もいつか聞かせて欲しい。