1995.12.24(日)午後7:30-8:45、神戸教会
待降節第4主日、クリスマス燭火讃美礼拝
(1995.12.31 神戸教会週報掲載)
(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん62歳)
聖書:ヨハネの黙示録 3:20、説教「訪れ」岩井健作牧師
アンサンブル:シュピール・ドーゼ、合唱:神戸教会聖歌隊
(クリスマス讃美礼拝出席390名)
讃美礼拝後、クリスマス・キャロリング(参加24名)
アルプスの小さな村に、それは貧しい靴職人がいました。
奥さんは先に死んでしまい、後にフリッツル、フランツル、ハンスルという小さな三人の男の子が残されました。
靴職人の家は一間で、食べるものもたくさんあったためしがありません。
でも、お百姓さんの靴を直した時はミルク、お肉屋さんの靴を直した時はシチューをいただくこともありました。
しかし、その年はクリスマスになっても、仕事がありません。
お父さんは、街に仕事に出かけました。
火を少しずつ燃やして、ベッドに入っているんだよ、誰がきても絶対に入れるんじゃないよ、とのお父さんの言いつけを三人の子どもたちは家で守っていました。
陽が沈むと氷河を滑り降りる雪にささやくように風がゴウゴウと唸り、雪が戸の下から入ってきます。
ヒュー、ドンドン。誰かが戸を叩いています。
「開けちゃダメ!」
弟たちの声を振り切って、長兄フリッツルは戸の錠を開けます。
すると醜い小男が転がり込んできて「なんですぐに開けなかった!無礼者め」と料理もない客人のあしらいぶりに怒ります。
そして、ベッドに押し入り「寒かったらトンボがえりでもしろ」と子どもたちを投げ飛ばします。
しかし不思議、逆立ちをした子どものポケットからは、オレンジやお菓子や金貨・銀貨が転がり出ます。
気がつくと、醜い小男はいません。
帰ってきたお父さんは子どもたちの話を聞いて、言います。
「それはローリン王だ。クリスマスには、どこかの家にきて、いたずらをしながら贈り物をくれる伝説の妖精なのだよ」。
お父さんと子どもたちは『イエスさま、どうぞわが家の客になってください』と感謝の祈りを捧げ、楽しいご馳走が始まりました。
『とってもふしぎなクリスマス』という絵本のお話です。
(『とってもふしぎなクリスマス』文:ルース・ソーヤ、絵:バーバラ・クーニー、ほるぷ出版 1995)
先日、毎日新聞社・学芸部編集委員の横山真佳氏が取材に来られ、私の談をまとめて「被災地のクリスマス」という記事にしてくださいました。(毎日新聞「宗教通信」 1995年12月16日)
内容は、ルオーの「郊外のキリスト」にこと寄せて、被災地の寂しい人を密かに訪れているのはキリストだろう、我々もそのことを証しし、客人としてのキリストを心のうちに受け入れたい、と述べたものです。
客人を勇気を持って受け入れた、絵本のフリッツルのお話が、それと重なりました。
「わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちのうちにとどまってくださる」とヨハネの手紙 第一 4章12節にあります。
”愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。” (ヨハネの手紙 第一 4:11-12、新共同訳)
フリッツルほどの勇気が出せると、少し状況が変わるでしょう。
いや少なくとも「イエスさま、わが家の客に」と祈ることはできます。
そんな心でクリスマスを祝いましょう。
”見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。”(ヨハネの黙示録 3:20、新共同訳)
(1995年12月24日 クリスマス燭火讃美礼拝説教 岩井健作)
(1995年12月31日 神戸教会週報掲載)


