深き淵の底から − 沖縄に問われつつ(2015 礼拝説教・鎌倉恩寵)

詩編130編 1節-8節

2015.6.21、鎌倉恩寵教会 礼拝説教 要旨
「今日の説教、聴き手のためのメモ」

(日本基督教団教師、健作さん81歳)

1.人間は関係存在です。

 谷川俊太郎の絵本『わたし』はその関係存在をよく語っています。私は母から見れば娘の道子、犬から見ると人間、お医者さんへ行ったら患者、八百屋さんではお客さん、まだまだいろいろ、関係は続きます。本人が気が付かなくても「わたし」は相手に拠って規定さています。

 さて、さらに大事なのは、それぞれの関係には関係史があることです。

 例えば「道子」は生まれたとき低体重児でね、小さくて親をハラハラさせたのですよ、でも今は元気で、といった具合です。

2.沖縄と本土との関係を関係史を含めて言い表すのに

「ウチナンチューとヤマトンチュー」という常套句があります。ウチナー(沖縄)に対してヤマト(大和)への怒りを込めた、本土が持つ差別性への問題提起が込められている表現です。

 薩摩支配、琉球処分(1872-79)、本土の捨て石とされた凄惨な沖縄地上戦、米軍占領統治(27年間)、復帰後基地の過重負担(0.6%の面積に基地全体の75%が集中)、辺野古への新基地建設を強行する本土政府への怒りを暗に示しています。

 オール沖縄で、翁長知事を中心に「政府の『辺野古』断念への闘い(「本土」の連帯が求められている)」を含んでいます。沖縄は本土の植民地(知念ウシ)、構想的差別(新崎盛暉)などの認識が土台になっています。

 それに対して「本土」は第三者的(報道・教育・運動など)。「沖縄の問題」は「日本の問題」「日本人は加害者としての当事者」(谷口真由美)だと言われています。

3.加害の当事者としての自覚

 まず「罪責」の自覚から。私の場合。米軍岩国基地の問題を通じて、沖縄の基地の巨大さを知り、教団の「合同のとらえなおし」(沖縄キリスト教団との合同 (1969年)が大が小を呑む合併吸収という国家の質を持ってしまったので、教会にふさわしい対等な『合同』への作業を開始[特設委員会1985。委員長・岩井健作])に携わりました。

 にも拘らず、想像力の欠如により「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます」(詩編130編)を体験しました。渡久山ハルさん(ひめゆり部隊生存者、読谷教会)の心情を汲めなかったのです。その罪責感は大きく、沖縄に関わる経験の原点になっています。

4.この詩編は4連の詩から構成されています。

① 1−2節。「嘆き祈るわたしに耳を傾けてください」キーワードは「呼ばわる」。

② 3−4節。「あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり」。「認識・思想」です。キーワードは「罪」。

詩編130編 1節-8節、新共同訳
1 都に上る歌。
 深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
2 主よ、この声を聞き取ってください。
 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
 主よ、誰が耐ええましょう。
4 しかし、赦しはあなたのもとにあり
 人はあなたを畏れ敬うのです。
5 わたしは主に望みをおき
 わたしの魂は望みをおき
 御言葉を待ち望みます。
6 わたしの魂は主を待ち望みます。
 見張りが朝を待つにもまして
 見張りが朝を待つにもまして。
7 イスラエルよ、主を待ち望め。
 慈しみは主のもとに
 豊かな贖いも主のもとに。
8 主は、イスラエルを
 すべての罪から贖ってくださる。

③5−6節。「わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます。」「生き方・実践」です。キーワードは「待つ」。

④7−8節。「主を待ち望め。慈しみは主のもとに/豊かな贖いも主のもとに」。「告白・讚美」。キーワードは「慈しみ」。

5.この四つの重層性のどこかに身を置いて生きることが、大事です。

 沖縄への関わりは大変重たいものです。しかし、切望して、呼ばわり、罪を改めて深く知り、待ち、主の慈しみを讚美・告白し、これを沖縄の現場に向き合って繰り返し生きるとき、沖縄は私たちに「苦難」を教え、他者性(神の語りかけ)を宿した力となるでしょう。事実、沖縄ならではの「出会い」を恵みとして与えられています。

▶️ 午後の講演「私は岩国でベトナム戦争を経験した。そして今」