坂道(1988 神戸教會々報 ㉛・中谷訴訟・最高裁判決)

神戸教會々報 No.119 所収、1988.7.10

(健作さん54歳、牧会31年目、神戸教会牧師11年目)

「ヤコブは小さな者です」 アモス 7:2


 六月が終る。中谷康子さんご苦労さまでした。そんな言葉がふと心をよぎる。

 最高裁大法廷は「自衛官合祀拒否訴訟」の1、2審判決を破棄した。原告中谷さんの「宗教的人格権」の主張を認めなかった。

 15年支援活動を続けてきた私などにとって、2審判決との分岐点となった事実認定の問題は到底承服し難い。山口県護国神社に対する合祀申請は、県隊友会の単独行為であり、自衛隊山口地方連絡部との共同行為ではないとする事実認定に立って、あとはかなり強引な理由づけで、隊友会の合祀申請が合憲だとの結論を導き出している。

 下級審を傍聴した際、この「事実認定」こそが厳密に扱われたことを考えると、「事実」の解釈で、行政への迎合をしていく「最高」の司法の姿が、浮き彫りにされた。それだけに伊藤正己裁判官の少数意見が活きている。判決の日、いつもの笑みをたたえつつ「最高裁は権力におもねるところ……その想像ははずれなかった……」とTVで中谷さんが語ったことが印象的だった。

 一人の女性が「家」や「国家」に否を言わざるを得なかった状況とそれに抗した精神の在りよう。右翼や隠れた大衆のいやがらせ、逆に職場や教会など身近な人々の支え、自衛隊や護国神社、隊友会の実態、それにも増して、支援運動や教会の実質、あるいはその思想性など。中谷さんの15年では、大きなことよりも、中谷さんの生活に関わった小さなことが大事なのではなかったか。

 私は判決の当日、重い気持ちだった。

 だが、その重さを一方では自らへの試練とした。その週、垂水の飛田夫妻宅で家庭集会をもちアモス 7:1-6を学んだ。預言者アモスが生活を共にしていた中産階級への審きが語られている個所である。「主なる神よ、どうぞ、ゆるして下さい。ヤコブは小さな者です」の言葉が身に沁みた。中谷康子さんの問題提起を受けとめ得る質をどれだけ養い続けてきたかを思わざるを得ない。

 他方、はるかなる坂道も一歩から、という気負わない負い方で新しい課題を与えられたような気がする。政治的外気の重圧にもかかわらず、問題は運動から離れて日常性へと近くなった。(もちろん同質の裁判運動への支援を大切にしていくことを含めてであるが)。

 例えば、神島二郎氏(神戸新聞 6/6)は、死者供養は近親者の重要な権利・義務であり、先祖祭祀の伝統的ルールであり、他人の介入を決して許さなかったとの事実を挙げている。が、その祭祀権の分割が子孫の繁栄と祭祀の永続を願う親たちの側から、すでに幕末から徐々に始まっており、常態化するにつれ、その重要さが失われることとなり、それはまた明治以後の国家介入(靖国神社、護国神社への祭祀)を許す素地であったと指摘している。

 一つの問題への関わりには多様な視座がある。中谷康子さんの15年は、それを幾重にも引き出した。

 かつて中谷さんが裁判にふみ込んだ自分を省みて「お膳立てができていたような気がする。いい意味でがんじがらめだった」と信仰の証を語ったことが忘れられない。

 30日、雨ぐもりの中、会報のため花隈中央通りの写真を何枚か撮った。

 中谷さんにこの坂道を上ってもらって、一度、兵庫の人たちと静かに語り合う機会が与えられたらとの願いを持つ。

 一人の中谷さんに「大勢の中谷さん」が続くためにも。



(サイト記)本文中、健作さんが神島二郎氏の文章を紹介して「重ただしい」との表現が2箇所あります。この語彙が気になって用例を検索しましたが、ネット上には用例が一例もありません。神戸新聞の神島二郎氏の原文を確認できないため、サイト編集に際して本文を「重要な」と書き換えました。神島氏が使用した語彙が分かれば、書き換えます。


◀️ 「信教の自由」への道、遥か
−自衛官合祀拒否訴訟控訴審にむけて−(1979 中谷訴訟・山口地裁・兵庫教区)

◀️ 自衛官合祀拒否訴訟雑感(1979秋 広島高裁)

◀️ 自衛官「合祀」拒否訴訟 二審勝訴 – さらなる支援を –
(1982 中谷訴訟・広島高裁・兵庫教区)