「信教の自由」への道、遥か −自衛官合祀拒否訴訟控訴審にむけて−(1979 中谷訴訟・山口地裁・兵庫教区)

1979.5.10 発行「日本基督教団 兵庫教区 社会部ニュース No.8」所収

(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん45歳)


 私が中谷康子さんの「自衛官合祀拒否訴訟」に関わりを持ったのは1972年からです。

 もう7年になります。

 中谷さんの亡夫孝文さんは山口県防府市の旧家の生まれですが、継母に育てられたことに加えて、父親がまれにみる家父長的・専制的な性格の人だったそうです。

 温かみや自由が家庭に少なかったのでしょうか、学校を出て勤めていた市役所を辞めて、自衛隊に入れば家を離れられると志を起こして入隊をし、康子さんと見合いをし、結婚します。

 他方、康子さんの方は、防府市から少し入った農村で育ち、小学校4年の時、実母と死別し、その後継母との生活に心の充たされないものを持ち、一人悩むことの多かった青年時代、友人の誘いで山口信愛教会の家庭集会に出て、後、林健二牧師から受洗し、孝文さんと家庭を作りました。

 彼女は夫に自分のキリスト教信仰がやがては分かってもらえる日の来ることを祈りとして待ちながら、その後、各任地を転々とした折も、その土地での教会生活を続けます。

 そして、1968年、孝文さんが自衛隊盛岡地連釜石出張所長だった時、隊の部下の運転するジープに同乗中、対向車との衝突で悲しい死を遂げます。

 その時の自衛隊の死者の扱いが全く昔の軍隊のように「死んだ者は国のもの」といった具合で、妻の康子さんは「夫から引き裂かれた」という心の傷を負います。

 そして、その後、色々な曲折を経て、山口市で市の老人ホームに勤め、一人息子の敬明君と生活を始めた矢先、自衛隊山口地連が主導的に働き、隊友会の名義で夫を護国神社に祭神として合祀します。

 彼女は既に山口信愛教会で故人の記念式をしていたし、また当時、靖国神社法案反対の学習を教会でしていたので、自衛隊側が当然のことでむしろ有難いことだと言わんばかりに言った「英霊として祀(まつ)ることで、自衛隊員の士気を鼓舞するためだ」ということを聞いて、はっきり「拒否」をしました。

 この合祀は、国の反動的流れの中で、自主防衛政策の一環としてなされたものですが、中谷さんの受けた精神的被害は、本来「信教の自由」の内容として保障されるべき人格権(夫と信仰においてつながる権利)を、国家の権力で侵された深い傷として残りましたし、このことを通じ、中谷さんの信仰は、自分一人で辛抱して黙っていればよいと考えることを許しませんでした。

 中谷さんの決心に動かされた林牧師や同信の人たちが、自衛隊に抗議し、またキリスト者の弁護士の方々と相談し、遂に訴訟に踏み切ったのが1972年です。

 以来、同じ山口県の東の端、岩国にいたので、私は6年間22回の公判のうち、最後の1年を除いて、山口地裁に傍聴に通い、支える会の働きをサポートしました。

 東京から九州までの支える会や地元労組の人たちが実によく支えましたし、弁護団もよく戦いました。

 今年(1979年)3月22日の勝訴のニュースが全国紙やテレビで津々浦々に流れた喜びを忘れることができません。

 幸い山口地裁の判決公判に参加できましたので、帰ってきて、兵庫教区では社会部と靖国神社特別委員会の主催で報告会が開かれましたので、そこで報告をしました。

「働く人」誌(258号、4月号)に、この訴訟の経緯と意味を書きました。

 私は、この訴訟はキリスト教信仰の根本に触れている問題で、ただ裁判を支援すればよいというものではないと思っています。

 聖書の信仰は旧約以来、国家の権力というものと対峙したところで、個とか人格とか人権を考えていますし、また人間の共同性(たとえ夫が死んでも)は絶たれてはならない人間性の徴(しるし)でありますし、特に、戦争責任告白として、教団の宣教の姿勢を考え直してきた段階で、中谷さんが身を賭けて問うていることに心を開く必要があると思います。

 そこで、是非、中谷訴訟が問うているものは何かということを、教会の日常的な、信仰の養いの場の中で考えてみていただきたいのです。

 講壇で、婦人会や青年会の学習で、また聖書研究と関連させて。

 ここに出て来ていることは実にいろいろな問題を含んでいます。

 例えば、「家」の問題、「嫁」の問題、「死者を記念することと家族の関係」「自衛隊とは」「護国神社とは」「神社の祭神は勝手に決められても仕方がないのか」「民族主義と差別の問題」(中谷さんは訴訟中、「非国民!朝鮮へ行け」という嫌がらせの手紙を受け取った)「神社を支える民衆の意識とキリスト教信仰」等々。

 例えば、今度の山口地裁の判決で「信教の自由」を「違法な侵害に対して裁判上の救済を求めるべき法的利益を保障されたものとしての、私法上の人格権」と規定したあたり、大いに評価されますが、他方、隊友会にも「信教の自由」があって、「祀(まつ)る」権利があると認めたことは、おかしなことだと思うのですが、いかがでしょうか。

 わが国の政治の流れが、保守反動化し、大平首相が「総理大臣」の肩書をつけて靖国神社に「参拝」するといった時節、中谷訴訟の勝訴は大きな力です。

 4月6日。国と隊友会側が控訴しました。

 控訴審がどう進められるかは分かりませんが、広島を中心にして今までよりもなお一層、輪を広げた支援が必要です。

「報告会」の席上、兵庫にも「支える会」を起こそうという話が持ち上がりました。

 いずれ呼びかけが行われると思いますが、輪に繋がってくださるよう願ってやみません。

(神戸教会牧師 岩井健作)


▶️ 自衛官合祀拒否訴訟雑感(1979秋 広島高裁)

▶️ 自衛官「合祀」拒否訴訟 二審勝訴 – さらなる支援を –
(1982 中谷訴訟・広島高裁・兵庫教区)

▶️ 坂道(1988 神戸教會々報 ㉛・中谷訴訟・最高裁判決)

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