1979.10.21、神戸教会、1979年度秋の特別伝道礼拝の週報に掲載
10月14日播州地区社会部集会、16日教区常置委員会、
17日広島高裁(中谷訴訟)、広島YMCA(全国連絡会)、
17日夜・神戸(13教会合同祈祷会)、21日神戸(秋の特別伝道集会)、
24日安中(新島学園高校宗教週間)、25日群馬(松井田教会伝道集会)
(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん46歳)
山口県の中谷康子さん(44歳。山口信愛教会員)が亡夫孝文さん(自衛隊公務中交通事故で死亡)の護国神社への強制合祀を拒否し、第一審で、国側の憲法20条違反が認められ、勝訴したことはまだ記憶に新しいことです。
(サイト補足)日本国憲法 第20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
その後、国側が広島高裁に控訴したため、中谷さんは被控訴人として、また法廷に立たねばならなくなりました。
兵庫でも、いち早く教区総会で控訴への抗議と支援が決議されました。
その後、元号法制化が行われたり、太平洋戦争のA級戦犯が靖国神社に合祀され、首相が靖国参拝をするなど、国家神道復活への兆しに歩み寄る動きがますます激しくなり、神社新報(10月1日号)は「英霊にこたえる会」が全国で「靖国神社公式参拝実現署名」が800万を越え、地方議会の決議が次々となされていることを報じています。
この様な状勢の中で、17日広島での控訴審第一回公判が開かれ、私は「兵庫の会」を代表して、参加してきました。
傍聴は当日5時から傍聴券獲得のため並んだ延110名の好意により、各地の代表が入廷しました。
第一回の口頭弁論は、まず中谷さん本人が
① 第一審勝訴にも関わらず、夫は未だに護国神社に祀られたままになっていること
② 広島の地で「あやまちはくりかえしません」という平和への願いとこの裁判とを繋げていきたい、と述べ、続いて3人の弁護士から本件訴訟の意義が述べられ、約1時間半の公判を終わり、続いて広島YMCAで、東京から福岡まで各地の「支える会」による全国連絡会が行われました。
その会を途中で出て、今村嗣夫弁護士と共に、夜の当教会での「合同祈祷会」に向かいました。
同夜は13教会より36名が出席。
今村弁護士は「聖書の偶像礼拝否定の思想とこの裁判の意味するもの」と題し、特に旧約ダニエル書3章1-18節を引用、一審判決には欠けていた思想的意義として、中谷さんが単に「信教の自由」としての人格権の確保だけではなく、広く戦争否定の「良心の自由」を求めている意義を強調されました。
そして、偶像(日本では天皇)による支配に利用されていく人間関係のあり方そのものの連鎖を断ち切っていく思想と信仰のあり方の樹立の必要を訴え、数名の祈りがありました。
なお「兵庫の会」では、現在この訴訟支援のため100万円を目標に募金活動を行なっています(現在11万円)。
皆様方の祈りと支えをお願いします。
(岩井健作記)
◀️「信教の自由」への道、遥か
ー自衛官合祀拒否訴訟控訴審にむけてー(1979春 中谷訴訟・山口地裁・兵庫教区)
▶️ 自衛官「合祀」拒否訴訟 二審勝訴 – さらなる支援を –
(1982 中谷訴訟・広島高裁・兵庫教区)