1979年秋期 特別伝道礼拝報告(1979 神戸教会・関田寛雄牧師・週報)

1979年秋期特別伝道集会(1979年10月21日、講師:関田寛雄牧師)
本テキストは翌週の神戸教会週報(1979年10月28日)に掲載

(この時、関田寛雄さん50歳か51歳、健作さん46歳)
(伝道部委員長・山下長治郎さん71歳)


 水を打ったように静かに講師・関田寛雄先生の説教に傾聴する礼拝でした。

 説教者も途中絶句して、「それは奇跡としか言いようがありません」と言葉をぽつりと継いで瞼(まぶた)をしばたく場面がありました。

 それほどに説教者の実存が、キリストの福音によって支えられていることを伝えた説教でした。

 ヨハネによる福音書 2章1-11節は、カナの婚礼の箇所ですが、その中から一点、イエスの命令であるという故にそれを約束と信じて、巨大な水瓶(がめ)を満たすために、あたかも小さなスプーンで水を運ぶような徒労に黙々と自分を賭けていく僕(しもべ)の姿が注目されました。

 講師は、午後の懇談の席上、自宅を開放して障害児保育を始めざるを得なかったこと、在日朝鮮・韓国人の基本的人権に関わる事件を通しての伝道の進展、加えて青学神学科廃科問題の渦中での体験を述べられましたが、そこで味わった徒労感と同時に水がぶどう酒へと変えられ、人間の営み(婚礼)が祝福されていく神の「奇跡」としか言いようのない出来事をメッセージとして伝えて下さいました。

 講師の地味な神学的研鑽、隣人への情熱、福音を十字架を負うことの栄光に見ていく信仰を通して、示唆を受けること多き集会でした。

 この21日の礼拝が「神の招き」となって、イエスに従いつつ生きようとする兄姉の起こり来たることを祈り、また、私たちの教会の宣教の方向性を整えてまいりたいと存じます。

(岩井健作記)


1979年10月21日(日)神戸教会 秋期特別伝道礼拝
演題「徒労に賭ける」ヨハネによる福音書 2:1-11
講師:関田寛雄氏(青山学院大学教授、川崎戸手伝道所牧師)

”三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係りがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで、言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。”(ヨハネによる福音書 2:1-11、口語訳)


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