「石井幼稚園・石井伝道所だより」
1988年6月号 所収
(神戸教会牧師・石井幼稚園代表役員
健作さん54歳)
”神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである”(マルコ 3:35)
誰しも、その人でなければならない役割というものがあります。
三歳児のクラスでも、元気な子、やさしい子、絶対泣く子、手の早い子、みんなその子の役割のようなものが決まってきます。
そんなことについて、とても面白い小冊子を読みました。
山田洋次『寅さんの教育論』(岩波ブックレット No.12)です。
山田さんは映画監督で、俳優・渥美清主演の「寅さんシリーズ」を30数本も作っています。なかなか人気のある映画です。
その中に、渥美さんから聞いた話というのが載っています。
渥美少年は、小学校時代、一番出来の悪い、成績の悪いクラスのお荷物だったそうです。
一番後ろに座らされて授業がさっぱりわからないし、興味もない。
面白くないから、ぼんやり先生や他の生徒を眺めているのです。
すると1時間の授業のうち、一度や二度、一息入れる時があるんだそうです。
先生もチョークを置く。
すると生徒たちはなんとなく渥美少年の方を振り返ってみる。
その時、彼はそこで俺の出番だとばかり、あの四角い顔でニコニコッと笑うんだそうです。
そこでみんなが「ワァーッ」と大声で笑う。
そうすると、なぜかみんな元気が出てくるというのです。
そして再び授業が始まります。
これこそ彼の俳優としての始まりだと思います。
このことから思うのですが、誰でもみんな、神様からいただいている自分の役割というものがあると思います。
ところが、その個性ともいうべきものを殺してしまって、みんなが一様に能力主義、学業成績主義で、規格化されてしまった時、人間であることの面白さ、豊かさが消えてしまうのではないでしょうか。
山田監督も、能率主義で作った映画は面白くないと言っています。
奇人・変人が映画界にいる時、人を楽しませたり、感動させたりする映画ができると言っています。
「神のみこころを行う」とは、人を楽しく豊かにするような、自分の役割を見つけていくことではないでしょうか。
そんな目で、子どもを見つめ直していきたいと思います。